病気のバイオサイエンス

大阪大学 微生物病研究所

last up date : 07 April 2008

エマージングウイルス感染症

生田 和良 ( Kazuyoshi IKUTA )

ウイルス免疫分野

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執筆協力者 : 朝長 啓造( Keizo TOMONAGA ) (ウイルス免疫分野、准教授)
 作道 章一( Akikazu SAKUDO ) (ウイルス免疫分野、助教)
1. はじめに

 近年、ウイルス感染症に関する社会的話題は多い。もう30年近くも前になるが、AIDS という病気が出現し、初めはその原因が分からず怖がられたが、ウイルス感染症であることが明らかになった。その後も、次々と新しいウイルスの出現が報じられてきている。このような、それまでその存在が知られておらず、突如として新しく出現するものをエマージング(新興)ウイルスと呼ぶ(図1)。重症急性呼吸器症候群 (SARS) の原因として同定された SARSコロナウイルス、また人類の脅威となるようなパンデミックウイルスの出現の可能性のある鳥インフルエンザウイルス (H5N1) などが、このエマージングウイルスに含まれる。

 SARSコロナウイルスや H5N1 は呼吸器の病気を起こし、空気中に飛散するウイルスによって感染伝播が起こる Air-borne と呼ばれるものである。これに対し、最近の話題となっている感染症の1つ、ノロウイルスは腸管を標的とする下痢症を引き起こすウイルス感染症である。腸管で増殖することから大量のウイルスが便に混ざって排出され、次の感染源となる。従って、このようなウイルスは食べ物を介して感染伝播が起こることから Food-borne と呼ばれている。腸管で増殖するウイルスのなかには、流行性肝炎と呼ばれる A型 と E型肝炎ウイルスなども含まれ、腸管のみならず肝臓の病気の原因になっている。一方、ウシ海綿状脳症 (BSE) も、食卓にのぼる牛肉はすべて BSE フリーにと、全頭検査が行われ、アメリカからの輸入牛についても安全性を世界の基準以上に求めるなど何かと話題が多い。このような BSE も Food-borne でヒトにも感染伝播し、脳内にプリオンが蓄積する vCJD と呼ばれる疾患になるが、そもそもはヒツジの Scrapie と呼ばれるプリオンに起因している。

 医療には輸血や血液製剤が欠かせない。しかし、もしこれら献血血液や血製剤中に感染症の原因となる病原体が混入し、生きた状態で存在していた場合には、医療が原因となった病気 (医原病と呼ばれる) を引き起こしてしまうことになる。そこで、より安全性を求める対策が極めて重要になってくる。

 また、難病と呼ばれる原因不明の疾患の中には、中枢神経系に見られる何らかの異常が原因となって、精神性の、あるいは運動など神経性の疾患となっているものなどが含まれる。このような疾患についても、ウイルスの中枢神経系への持続感染が直接あるいは間接的にその病態に関わっているのではないかと考えられている。神経親和性のボルナ病ウイルス (BDV) も、疫学的な研究からこのような中枢神経系疾患との関連性が示唆されているものの1つである。

 ウイルス感染症に対する、人類の最も大きな快挙はワクチン開発である。今から 200 年以上も前の 1776 年のエドワード・ジェンナーによる天然痘ワクチン開発からワクチン史は始まる(図2)。世界保健機構 (WHO) により天然痘の撲滅宣言が行われた 1980 年頃は、ポリオや麻疹などほとんどのウイルス感染症が次々とワクチン開発によって解決されてしまったかに見えた時期でもある。しかし、皮肉なことに、このような時期 (1981年)、アメリカから AIDS という奇病の報告があった。1983 年になり、その因子として新しいウイルス (ヒト免疫不全ウイルス : HIV)が分離されたのであるが、未だに効果的なワクチン開発には至っていない。また、最近の高校生・大学生の麻疹問題は、このワクチンに対する認識の不十分さに原因がある。日本人の東南アジアへの旅行者が帰国後に狂犬病発症で亡くなったことも感染症に対する認識の不十分さが原因と言える。

 東南アジアは、私たち日本人にとっても脅威となることが予想される、数々のウイルス感染症の前線地域である。大阪大学微生物病研究所は、タイ王国の国立予防衛生研究所 (NIH) 内に感染症共同研究センター(Thailand-Japan Research Collaboration Center on Emerging and Re-emerging Infections; RCC-ERI ;http://www.biken.osaka-u.ac.jp/rcc/Japanese/) を設置している(図3)。この RCC-ERI では20名近くの研究者が、NIH の研究者との共同研究として感染症研究を展開している。この RCC-ERI 内のウイルス感染部門では、HIV、デングウイルス、インフルエンザウイルスという東南アジアで最も重要なウイルス性の感染症にフォーカスしている。また、Food-borne ウイルス感染症を引き起こすE型肝炎ウイルス (HEV) についてもフォーカスしている。

 私たちウイルス免疫分野では、社会で問題となっているウイルス感染症にフォーカスし、社会還元が可能な形の成果を得ることを期待して研究を展開している。また、タイの RCC-ERI の研究をサポートすることも、ウイルス免疫分野の重要な課題の1つである。

Fig1
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図1 主なエマージングウイルスの出現場所

Fig2
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図2 エドワード・ジェンナーによる天然痘ワクチン開発 (最初のワクチン開発)
ヒトウイルスで黄熱ウイルスが発見される 100 年も前にこのワクチンは開発された。このワクチンは、天然痘に対する予防効果が高かったことに加えて、ヒトのみを標的にし、他の動物には感染しないこと、感染が一過性で、急性期以降には体内にウイルスがいつまでも残る持続感染様式をとらないことなどが、天然痘撲滅ができた理由と考えられる。

Fig3
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図3 タイ王国の国立予防衛生研究所 (NIH) 内に設置している大阪大学微生物病研究所の感染症共同研究センター(Thailand-Japan Research Collaboration Center on Emerging and Re-emerging Infections; RCC-ERI)

2. HIV

2.1. 研究背景
AIDS発症は、生体の免疫系を破綻させる力を持ったウイルス (HIV) に感染したことが原因である。HIV に感染すると生体は、一旦はウイルスの増殖を許すが、数週間後には生体側の免疫応答によりこのウイルスの増殖を抑え始める。しかし、完全にウイルスを排除することはできずに、ウイルスと免疫が均衡を保った状態、いわゆるウイルス持続感染状態が成立し、このような状態が10年ものあいだ続くことになる。この期間、みかけ上は健康を維持するので、無症候性キャリア (AC) 期と呼ばれる。この均衡状態もやがて崩れ、生体側の免疫が負ける時期に突入すると AIDS 発症を迎えることになる(図4)

 HIV は極めて多様なウイルス集団である(図5)。遺伝学的系統樹解析から Type 1 (HIV-1) と HIV-2 に分けられる。世界的規模の流行の原因となっている HIV-1 は、さらに Group M(Major)、O(Outlier) および N(non-M/non-O) の3 Group に分類される。Group M が HIV-1 の主要なウイルスグループで、A〜K の9つのサブタイプに分けられる。さらに、これらのサブタイプは互いに recombination を起こすことによって、新たなサブタイプである、多くの組換え型ウイルス (Circulating Recombinant Form; CRF) を生み出している。

 AC 期由来 HIV-1 の多くは、CCR5 をコレセプターとして用いることから R5 ウイルスと呼ばれるマクロファージ指向性の HIV-1 であるのに対し、AIDS 患者由来 HIV の多くは、CXCR4 をコレセプターとして用いることから X 4ウイルスと呼ばれるTリンパ球指向性の HIV-1 である。R5 HIV-1 はゆっくり増え、産生量も少ない。一方、 X4 HIV-1 は速く増え、産生量も多い。HIV-1 には、9個の遺伝子が存在するが、この内5個の遺伝子 (gag、pol、env、tat、rev ) はウイルス複製に必須であるが、残るアクセサリー遺伝子 (vif、vpr、vpu、nef ) はウイルス複製には必ずしもその必要性が認められない。しかし、このような遺伝子の働き方の違いによって、1)ウイルス産生が多いか少ないか、もしくは潜伏状態に入るのか、2)ウイルス産生のスピードの違い、3)宿主細胞を破壊するのか共存(持続感染)下に入るのか、などが決定されていると考えられる。

 HIV-1 の大きな特徴は、逆転写酵素 (pol reverse transcriptase) を持つことである。この酵素の働きにより、ウイルスゲノムは RNA から DNA となり、宿主染色体内に組み込まれ、プロウイルスとなる。このプロウイルスから mRNA への転写、さらに蛋白質へと翻訳を行う。これらの蛋白質が互いに集合して形態形成を行い、ウイルス粒子の産生となる。特に、逆転写過程において高率に遺伝子変異を引き起こすことが HIV-1 の武器となっている。すなわち、これにより宿主の免疫監視機構や投与された薬剤などの圧力から身をかわすことが可能となる。

 HIV-1 の複製は、感染の初期から後期まで活発に行われている。ウイルスを大量に産生しているT細胞の寿命は数日と短く、短期生存型感染細胞と呼ばれる。このような感染細胞に加えて、感染者の体内には冬眠状態の HIV-1 を抱え込んだ細胞も多く存在している。ウイルス遺伝子が陽性であっても、ウイルス粒子産生を積極的に行っていない細胞は、寿命が非感染細胞並みに長く、長期生存型感染細胞 (リザーバー) と呼ばれる。冬眠状態のウイルスを抱え込んだ細胞の一部には、何らかの刺激が入るとウイルス複製を始めることができる。プラズマ中のウイルス負荷 (量) を維持しているものは、大部分が活発なウイルス複製を行っている前者の感染細胞に由来するが、一部は潜伏状態から活性化されたウイルスも含まれる。最近では、抗 HIV-1 多剤併用療法 (逆転写酵素阻害剤とウイルスプロテアーゼ阻害剤を組み合わせて治療する方法 : highly active antiretroviral therapy : HAART) により、プラズマ中ウイルス負荷は低下 (しばしば検出限界以下まで低下) し、T細胞数が上昇するなど、顕著な臨床症状の改善がみられる場合が多い。しかし、ウイルスの排除は完全には行われずに、長期生存型感染細胞に由来する潜伏型ウイルスは残っている。このような長期生存型感染細胞を排除できれば根本治療になるが、今のところそのような決定的な方法はみつけられていない。

 以上、HIV-1 感染から AIDS に至る間に生体の免疫系は徐々に破綻を来たす。この破綻には、HIV-1 の免疫細胞識別能、細胞内での複製能、粒子形態形成能、細胞破壊能、細胞への持続感染能と潜伏感染能、そして潜伏からのウイルス活性化能、免疫監視機構撹乱能など、さまざまな要因が関わっていると考えられる。このような要因を総合的に解析し、HIV-1 の弱点となる点を明らかにできれば、より有効な予防・治療法の開発が可能になると考えられる。

Fig4
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図4  HIV-1 の感染から長期にわたってウイルスと免疫との均衡状態が続くが、やがてこの均衡が崩れ AIDS を発症する。

Fig5
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図5 HIV の多様性
HIV は HIV-1 と HIV-2 に、HIV-1 は Group M、O、N に、さらに Group M は A〜K のサブタイプに分けられる。これらの型別には env 遺伝子領域が用いられるが、別の遺伝子領域でも型別可能である。タイでは、A型 と E型 の組換え型(CRF)であり、中国など、他の国でもこのような組換え型が増える傾向にある。

2.2. HIV-1 の感染と複製
 休止期にある正常T細胞への HIV-1 感染機序を的確に把握することは、生体内でのウイルス複製機構、さらには病態機構を理解するうえで重要である。HIV-1 感染機序に関する研究のほとんどは、白血病由来T細胞株で行われている。このようなT細胞株は常に細胞分裂を繰り返している状態にあり、正常の休止期への HIV-1 感染を左右する要因を探ることはできない。

 CD4+ T細胞は、受け持っている免疫機能によって各サブセットに分けられる。多くの研究は、健常者からの血液から naive T細胞と memory T細胞に分画し、HIV-1 の感染感受性の違いが検討されている。しかし、研究グループ間で必ずしも結果が一致している訳ではない。CD4+ T細胞は、naive/memory 以外にも、CD38+/CD38- サブセットにも分けられる。病気の進行とともに、CD4+ T細胞数は減少するが、CD4+ T細胞数の中のCD38+ T細胞の割合が高くなることが知られており、実際、この CD38 が病態進行のマーカーとしても役立っている。

 私たちは、健常者末梢血Tリンパ球を CD4+CD38+ と CD4+CD38- のサブセットに分画し、R5 と X4 HIV-1 の感受性を検討してきた。その結果、IL-4 処理後に、CD4+CD38+ サブセットが X4 ウイルスに、CD4+CD38- サブセットが R5 ウイルスにそれぞれ高感受性を示すことを見出した(図6)。CCR5 発現程度は CD38+よりもCD38-のT細胞サブセットの方がやや高いことから、CD38-サブセットが R5 HIV-1 に対して高感受性を示したものと思われる。一方、CD4 と共に、X4 HIV-1 のコレセプターである CXCR4 発現は両サブセットで顕著な差異は認められなかった。にもかかわらず、CD38+ の方がCD38- T細胞サブセットよりも X4 HIV-1 に高感受性を示した。両サブセットは、X4 HIV-1 はインテグレーションまではほぼ同程度に進行していたことから、この感受性の違いはその後の転写過程で生じていると考えられた。

 そこで、IL-4 処理、未処理の CD4+CD38+ と CD4+CD38- サブセットについて、GeneChip 解析を行なった。その結果、CD4+CD38- サブセットで IL-4 処理後に、他のサブセットに比べ。有意に発現亢進してくる宿主因子、RNF125/TRAC-1 が HIV-1 の転写過程の段階で抑制的に機能していることが判明した。この分子は、Ring ドメインを持っており、ユビキチンリガーゼとして働くと考えられ、正常T細胞における HIV-1 の転写に必要な、何らかの因子 (恐らく転写因子など) の破壊に関わっていると考えられる(図7)

Fig6
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図6 CD4+ T細胞の CD38 サブセットに感受性を示す HIV-1 のトロピズム
健常者由来PBMCから分画した CD4+CD38+とCD4+CD38-の各サブセットへ、マクロファージ指向性 (M-tropic; R5) およびT細胞指向性 (T-tropic; X4) の HIV-1 を感染させると、図に示したように、CD4+CD38+は X4 HIV-1 に、一方CD4+CD38-は R5 HIV-1 に高感受性を示した。R5 HIV-1 高感受性の理由として、CD4+CD38+に比べ、CD4+CD38-の方が CCR5 の発現が高いことが挙げられる。しかし、CD4 および CXCR4 発現は両サブセットで同程度であるにもかかわらず、CD4+CD38+の方が X4 HIV-1 に高感受性であった。CD4+CD38-サブセットは IFN-γ産生が高く、CD4+CD38+サブセットは IL-4 産生が高かった。特に、CD4+CD38+における X4 HIV-1 産生にはこの IL-4 が関わっていた。

Fig7
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図7 T細胞に吸着・侵入した HIV-1 は脱殻後、ゲノム RNA は逆転写過程を経て DNA の形で核内に移行し、プロウイルスとなる。その後にウイルス転写を行う際に宿主細胞の転写因子が必要となる。ここで、RNF125 が存在すると、その転写因子(未同定)を RNF125 の作用によるユビキチン化が起こり分解される、その結果、ウイルス転写の効率の低下が生じると考えられる。

2.3. タイ、インドに蔓延する HIV の性状解析
 基礎研究のみならず、臨床研究においてもそのほとんどは、欧米や日本で蔓延している HIV-1 B型に関するものである。しかし、世界的には A型 (アフリカなど)、C型 (インドなど)、CRF01_AE (タイなど)などの感染者の方がはるかに多い。従って、このようなウイルスを用いた基礎研究、応用研究がますます重要になってくる。

 B型と CRF01_AE の Env アミノ酸配列ホモロジーは 50% 程度であることを考えると、同じ機序で AIDS を引き起こしているのかどうか疑わしくなる。実際、図8に模式的に示したように、これまでに報告されている成果のうち、B型では R5 から AIDS 病態が進むと X4 HIV-1 にシフトするということになっているが、A型、C型ではほとんどが R5 HIV-1 のみで AIDS を発症している。また、D型では感染初期から後期まで常に R5 と X4 の HIV- 1が共存している。これらの点は、これから病態機序を考えるうえで参考になる知見である。また、HIV-1 感染から AIDS 発症までの期間については多くの情報が得られている訳ではないが、C型では7年と、B型など他のサブタイプに比べると短く、強毒なものと考えられる。

 タイにおける HIV-1 の蔓延は 1980年代初めに始まり、1980年代後半から陽性者の上昇が麻薬常用者や売春婦の間で起こった。すなわち、1984年に初めて感染者が認められ、しばらく流行は起こらなかった。1987年の麻薬常用者における感染率は1%程度であった。しかし、翌年にはそれが 43%と、突然の爆発的流行が発生した。この時の流行は、欧米に分布するB型によるものであった。さらに、翌年の 1989年には異性間の性的ルートを介してさらに大きな流行が発生した。これは CRF01_AE により引き起こされた。その後も AE型を中心とした流行が続き、現在では感染者の 90%以上が AE型によるもので、タイのみならず東南アジア地域で最も主要な流行株となっている。

 タイの感染症共同研究センター (RCC-ERI) の特任准教授 亀岡正典のグループとの共同研究として、タイの HIV-1のウイルス学的研究を行っている。

 まず、CRF01_AE の特徴として、感染T細胞のアポトーシスを引き起こしやすい性状を見出した。私達は、臨床分離株と健常人由来末梢血単核球 (PBMC) を用いて、アポトーシス誘導能の臨床分離株間における差異と、その差異の原因となる因子について検討を行い、一部の AE 型感染でアポトーシスが高率に起こっていることを見出した。この強いアポトーシス誘導には、vpu 遺伝子上に中途停止コドンの存在が関連していることが明らかになった。実際、タイに蔓延する CRF01_AE の vpu 配列には、他のサブタイプには見られない、中途停止コドンの存在が高率に認められた(図9)。

 また、タイの臨床分離株は、CD4+ T細胞株への感染により、潜伏様の感染様式をとるものが多いことが判明した。対照に用いた B型の臨床分離株はいずれも、これまで知られていたものと同様に、感染性粒子を培養上清中に放出し続ける慢性感染を成立させるものであった。AE 型に関するウイルス複製機機序に関する報告はこれまでほとんどなかったが、一般に知られている B型のものとは大きく異なっていることが明らかになった。

 また、異なるサブタイプ間の組換え型、さらに3つのサブタイプに属する HIV-1 が複雑に組換えを起こしたモザイク型が出現する機序について検討してきた。これまでに、一度感染し、十分な免疫応答が認められる状態でも2回目の HIV-1 感染、すなわち重感染を成立させていることに関しては多くの報告がある。これは、ワクチンによる免疫誘導をしておいても HIV-1 の感染を予防することは困難であることを意味している。私たちはこの重感染の in vitro のモデル系として、ヒトCD4+ T細胞株である MT-4 に B型 HIV-1 を感染し、持続感染状態になった細胞集団からクローン細胞として得た L-2 細胞 (pol protease 内に one base insertion があることから、すべての pol 情報は発現されず、従って、Gag 蛋白質の切断による成熟が認められずに、感染性の無い未熟なドーナツ型粒子を産生している) を用いた。この L-2 細胞へ、異なるサブタイプである CRF15_01B (CRF01_AE の envpol 領域の一部が B型配列に組換えられた HIV-1 で、タイの感染者から分離)で重感染実験を行った。L-2 細胞はレセプター CD4 の発現が低下しており、2回目の感染は難しいと考えられたが、MT-4 への初感染に比べるとゆっくりではあるが、重感染は成立した。この重感染を成立した L-2 細胞は、B型と CRF15_01B 型のプロウイルスを持っているが、主としてB型の表現型のみを示していた。しかし、形態的にはドーナツ型から正常なコア構造をとっていることから、重感染した CRF15_01B 由来 Pol 蛋白質による complementation が起こっていると考えられた。そこで、この重感染 L-2 細胞から細胞クローンを分離し、その培養上清中 HIV-1 のゲノムを調べたところ、B型と CRF15_01B 型の両方の存在が認められた。従って、B型と CRF15_01B 型の両方のゲノムを持った heterozygous RNA 粒子として放出されていることが考えられた。そこで、この重感染クローン細胞から産生される粒子を MT-4 へ3代継代培養し、この間にどのようなウイルスが複製されていくのかについて追跡したところ、元の L-2 由来の未熟型粒子遺伝子は徐々に消えていき、最後はどのクローン細胞のウイルスにおいても、L-2 ゲノム内に認められた one-base insertion を含む領域が CRF15_01B の配列に置き換わった組換え体のみになっていた(図10)。重感染した CRF15_01B のウイルスは野生型であり、このウイルスの複製が最も活発に行われるだろうと考えていたが、不思議なことに、実際はほとんどその発現はなかった。従って、1回目と 2回目に感染した HIV-1 の発現に関し、優先順位をコントロールしている何らかの機序が存在するのかも知れない。このように、重感染により、はじめに complementation が起こり、この complementation によって産生される heterozygous RNA 粒子により、効率良く recombination を引き起こすことになり、その結果として多様な組換え体産生になると考えられた。

 一方、インドの臨床分離株はほとんどが R5 型であったが、複製スピードにある程度の多様性が認められた。また、B型 HIV-1 で観察されているような、病態の進行ともにウイルス性状の変化は認められず、感染の初期からウイルス高産生型のHIV-1 が分離できた。この点は、これまでのB型を中心として常識となっていた AIDS 病態機序とは大きく異なっている。今後、この高病原性の C型 HIV-1 の病態機序を明らかにしていくうえで重要な知見と考えている。

Fig8
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図8 HIV-1 サブタイプ間の病態進行機序の多様性
平均約 10年間の無症候期の後に発症するサブタイプBにおいては、無症候性キャリア(AC)から分離されるウイルスの多くは R5 型であるのに対し、AIDS 発症患者からは X4 型であることが多い。一部は 10年を待たずに早期に発症するケース、また逆に 15年後でも見かけ上は健康な長期未発症者の存在も確認された。一方、サブタイプC感染者では、一般に R5 型のみで AIDS 発症にまで進行するケースがほとんどで、その発症も 7年と速い傾向が観察されている。サブタイプ A や D でも R5 型のみで発症するケースが多いとされている。

Fig9
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図9 タイ型 HIV-1 である CRF01_AE の vpu 遺伝子の高変異性
タイ型である AE 型は、他のサブタイプに比べ、vpu 遺伝子の途中(transmembrane 領域と cytoplasm 領域の中間)で高率に変異が認められる。

Fig10
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図10 タイの HIV-1 分離株 (CRF15_01B) の重感染を受けた L-2 細胞から高率に産生される組換え体
CRF15_01B の臨床分離株(CU98-26)の重感染を受けた L-2 細胞からクローン細胞を3株(E1、1G10、5D10)分離した。この株から産生するウイルスを、HIV-1 に感染感受性な MT-4 細胞へ3代継代培養を行った。元の L-2 細胞に変異のあったpol 領域の配列(T)を検討するために、PCR 産物から10クローンの cDNA を分離し、それらの遺伝子配列を決定した。それぞれのクローン細胞由来ウイルスの継代後の10クローンの遺伝子配列(A)と、それぞれの配列の結果とグラフとしてまとめたもの(B)。

3. BDV

3.1. 研究背景
 ボルナ病ウイルス (Borna disease virus:BDV) は、エンベロープに被われた非分節型のマイナス鎖一本鎖の RNA をゲノムに持つモノネガウイルス目に属するウイルスである。BDV は、現在のドイツ南部からスイス、オーストリアにかけて17世紀より発症が確認されていたウマの神経疾患(ボルナ病 : Borna disease [BD])の原因ウイルスとして同定された。BD は長い間ヨーロッパの一部で発生するウマの風土病と考えられてきた。しかし、1980年代に入り、BDV のヒトへの感染の可能性が報告されると本ウイルスの研究は急速に加速し、鳥類を含む多くの温血動物が BDV に感染していることが確認された。わが国では、ウマやウシなどの家畜、そしてイヌやネコなどの愛玩動物で BDV 感染と BDV によると思われる神経疾患が報告されている。ヒトの疫学調査では、報告によりばらつきはあるが、健常人にも感染が認められている。しかし、脳内に感染しているウイルスを検出する難しさに加え、血清中の抗体価もきわめて低く、疾患との関連はいまだ謎である。人獣共通感染症としての危険性や神経疾患への関与が示唆される現状において、BDV の中枢神経傷害性の解明は重要度を増してきている。

 BDV はウイルス学的に非常にユニークな性状を示す。BDV は、脳神経細胞に高い親和性を持つ。BDV の最大の特徴は、脳内で細胞傷害性を示さずに持続感染を成立させることにある。持続感染細胞では、細胞外に放出される感染性ウイルス粒子は微量であり、ウイルス増殖も活発ではない。一方、そのような細胞でもウイルス蛋白質の発現は顕著に認められる。この現象は、RNA ウイルスではきわめてユニークであると同時に、BDV の病原性への関連が示唆されている。また、感染細胞の核内で増殖するのも RNA ウイルスとしては極めて特異な性状である。現在、モノネガウイルス目ボルナウイルス科はボルナ病ウイルス1種のみが同定されている。

3.2. BDVの疫学と疾患
3.2.1. 動物への感染
 BDV の感染はヒトを含む多くの温血動物に認められ、宿主域は極めて広い。自然感染は、家畜 (ウマ、ウシ、ヒツジ、ヤギなど)、愛玩動物 (イヌ、ネコ) そして野生動物 (ウサギ、キツネ、ヤマネコ、ジネズミ) などの哺乳類と鳥類 (ダチョウ、カモ、カラス) で確認されている。見かけ上健康な個体にも抗 BDV 抗体が検出される。わが国では、健常なウマ、ヒツジ、ウシ、ネコで10〜20%の個体が抗 BDV 抗体陽性を示すことが報告されており、BDV あるいは BDV に近縁のウイルスが不顕性感染している可能性を示している。一方、神経症状を呈した動物では、BDV 陽性を示す割合が高くなる。北海道で運動器疾患を発症したウマでは、その約 60%が抗体陽性を示した。また、家畜病院に来院した原因不明の神経症状を呈するネコでは、40%以上が抗体を持つことも報告されている。

 ウマでみられる典型的な BD は急性の進行性脳炎である。数カ月から数週間の潜伏期の後に、微熱や軽度の行動異常が認められ、次第に痙攣、興奮、無動、麻痺などを呈した後、全身麻痺に陥り、約 80%が死亡する。また、一部の回復例では症状の再発が確認されている。ウシへの感染はウマやヒツジに比べて稀と考えられるが、わが国でもウシ BD の発生が報告されている。

 ネコでは、原因不明の神経疾患 “staggering disease” と BDV との関連性が指摘されている。わが国でもネコの BDV 感染症が報告されており、運動失調、行動異常、固有位置感覚の欠陥は多くの症例に共通した症状である。しかし、微熱、不全麻痺、知覚過敏、躁病状態などの症状も観察されており、病態は複合的であると考えられる。近年、イヌの発症例も報告されるようになった。いずれも急性の転帰を示し、生前診断では、狂犬病またはジステンパーが疑われている。症状は急激に転帰して重度の神経疾患を発症する。

 急性 BD は、病理組織学解析で細胞性免疫を介した散在性髄膜脳脊髄炎像を示す(図11)。実質への炎症性細胞の浸潤や広範な神経細胞侵食とグリオーシスも認められる。炎症反応は大脳辺縁系に強い傾向にあり、髄膜や脊髄では僅かである。ウマの病変組織では、大型の神経細胞内に特徴的な好酸性の核内封入体が認められる。一方、BDV 抗原とゲノムは、神経症状を発症した個体の脳内に広く認められるが、必ずしも炎症局所と一致して検出されることはない。症状を示さない慢性感染例では、神経組織的な異常は伴わずに、脳内に広くウイルス抗原が観察される。

3.2.2. ヒトでの疫学研究
 ヒトの疫学調査は、主に、血清中の抗 BDV 抗体と末梢血単核球 (PBMC) における BDV RNA の検出により行われている。これまでに、抗 BDV 抗体あるいは BDV RNA が検出された中枢神経系疾患を図12に示す。一般に、BDV に対する抗体価は低く、PBMC 中のウイルス RNA も微量であることから、用いる方法により陽性率にばらつきが認められる。最近では、より直接的な方法として、剖検脳を用いた検索も行われている。アメリカでの調査では、統合失調症患者 17例中 9例、双極性障害患者 5例中 2例で BDV RNA が検出された。日本での解析では、統合失調症患者 9例中 3例、パーキンソン氏病患者 6例中 1例、対照群 31例中 2例で陽性を示した。

 ヒトの剖検脳から BDV を分離した報告として、4例の統合失調症患者の剖検脳を用いた研究がある。患者はいずれも若年であり、発症から死亡までの期間が短いのが特徴であった。その中で、抗 BDV 抗体が陽性と判定され、発症から2年で亡くなった1例の海馬、小脳ならびに橋領域において、 BDV RNA が in situ hybridization で検出された。患者剖検脳の乳剤を実験動物であるスナネズミに接種したところ、脳内での BDV 増殖が確認され、培養細胞との共培養によるウイルス分離に成功している。

 パーキンソン病患者の剖検脳を用いた検索も行われている。9例のパーキンソン病患者の黒質と前頭葉を材料にした RT-PCR の結果、4例の黒質領域で BDV RNA が検出されている。一方、前頭葉では 2例が陽性であった。 in situ hybridization によるウイルス RNA の検出も行われ、陽性反応を示した黒質領域からスナネズミへの BDV 伝播も確認されている。

Fig11
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図11 ボルナ病発症馬の脳前頭葉に認められた囲管性細胞浸潤 (写真:酪農学園大学、谷山 弘行 先生, Veterinary Record. 2001)

Fig12
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図12 これまでに抗 BDV 抗体、BDV 抗原あるいは BDV RNA が検出された主な中枢神経系疾患

3.3.BDVのウイルス学
3.3.1.基本性状
 BDVのゲノムは 8.9 kbからなり、両末端には転写や複製に必須な 30〜50 塩基の非翻訳領域がある。ゲノム内には少なくとも6つの蛋白質がコードされている(図13)。Nucleoprotein (N) と phosphoprotein (P) は、RNA-dependent RNA polymerase (L) とともにリボヌクレオ蛋白質複合体 (RNP) を構成しており、ゲノムの転写・複製ならびにウイルスの核輸送に必須である。X の詳細な機能は不明であるが、ウイルスの転写・複製を抑制することが知られている。Matrix (M) および envelope (G) はそれぞれウイルス粒子を形成する構造蛋白質である。

3.3.2. 複製
 BDV 複製の特徴のひとつに、polycistronic な転写産物の発現がある(図13)。N (p40N) をコードしている mRNA からは、その翻訳開始が 39塩基下流から始まる 38 kDa の isoform (p38N) も産生される。M、GそしてLをコードする mRNA も polycistronic な mRNA として転写される。転写産物の中で最も小さな 0.8 kb mRNA からは、X と P 蛋白質に加えて、16 kDa の蛋白質(P’)も翻訳されている。 0.8 kb mRNA から発現される 3種類の蛋白質の翻訳効率を調べた結果、感染初期には、最も上流にある X の翻訳効率が下流の P に比べて極端に少ないことが明らかとなり、X の発現を制御する機構が示されている。これまでに、0.8 kb mRNA の 5末端非翻訳領域に存在する short upstream ORF (suORF) とその開始コドン直下の RNA ヘアピン構造が、X の翻訳に重要な役割を果たすことが示されている。
 核内で転写を行うウイルスの多くは RNA スプライシング機構を用いて転写産物の発現制御を行っている。BDV も RNA スプライシング機構により、mRNA を発現している(図13)。BDV はゲノム上の異なるスプライシング配列を選択的に認識する選択的スプライシング機構を用いて mRNA の発現を行っていることも明らかとなっており、その選択には、スプライスアクセプターの下流にある抑制配列と転写終結シグナルが関与している可能性が示されている。

3.3.3. 核輸送
 BDV が複製部位である細胞核へと侵入するためには、効率的な RNP の核輸送のシステムが必要である。これまでに、N、 P、 Xそして L蛋白質が、それぞれに核移行シグナル (NLS) を持ち、単独あるいは相互作用して核へと移行することがわかっている。N 蛋白質の NLS はその N末端に同定されている。N蛋白質の N末を 13アミノ酸欠損した p38N は NLS を含んでおらず、単独では細胞質に局在する。P蛋白質の NLS は蛋白質の両末端側に2つ存在している。細胞に侵入した BDV から放出された RNP は、これら NLS を持つ蛋白質の働きにより効率よく核内に侵入できるものと思われる(図14)。  ウイルス蛋白質と RNP の核外輸送は、核内で効率的な複製を継続させるために重要であると考えられる。N 蛋白質にはロイシンとイソロイシンに富んだ典型的な核外輸送シグナル (NES) が同定されている。N 蛋白質の核外輸送はレプトマイシンBで阻害されることより、N 蛋白質の核外輸送には CRM1 が関与することが明らかとなっている。面白いことに、N 蛋白質の NES 領域は P蛋白質との結合領域と重なっており、P蛋白質の存在下では N蛋白質の核外輸送が阻害される。
 X蛋白質も P蛋白質との相互作用において、ウイルスの細胞内局在に関与している。単独で核内局在を示す P蛋白質は、X蛋白質の存在下では細胞質に移行する(図14)。X蛋白質への結合領域を欠損している P蛋白質は核内に局在にすることから、P蛋白質は X蛋白質と結合することにではじめて核外に輸送されることが明らかとなった。私たちの解析により、P蛋白質には CRM1 に依存し、メチオニンに富んだユニークな配列を持つ NES が存在していることが明らかとなった。X蛋白質との結合領域は P蛋白質の NLS 領域とは重ならないことからも、P蛋白質の核外輸送には X蛋白質結合による P蛋白質の構造的変化が関与していると考えられる。

3.3.4.持続感染機構
 ウイルスが細胞内で持続感染を成立させるためには、ウイルス蛋白質の発現と細胞傷害性とのバランスを制御する必要がある。先にも述べたが、 BDV は細胞核で持続感染できる唯一の RNA ウイルスである。すなわち、BDV の持続感染の機構の解析は、これまでにない RNA ウイルスの動態を明らかにできる可能性がある。
 BDV が持続感染した細胞核のゲノム RNA は長期にわたり一定量に保たれ続ける。この感染様式は、ウイルスとして極めて特異的な形態である。特に、細胞核は有糸分裂に伴う核膜腔の消失や遺伝子発現によるクロマチン構造の変化など、変化に富む極めて動的な環境にある。核で複製する RNA ウイルスが 2科しかいないことを考えると、RNA ウイルスにとって細胞核は複製には不適切な環境であると想像できる。そのような環境下で、 BDV がどのようにゲノム RNA を長期間、安定に維持できるのかは謎に満ちている。最近の研究により、その謎の一旦が明らかになりつつある。私たちは、BDV が核内で持続感染する DNA ウイルスと同様に、宿主の染色体の動きを利用してゲノム RNA の核内での物理的な安定化と保持を図っていることを見出している。

Fig13
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図13 BDV粒子と転写産物
A). BDV 粒子の模式図。BDV はエンベロープ(G)を持つ球形の粒子であり、粒子内にはヌクレオプロテイン(N)に覆われたゲノム RNA が存在する。
B).BDV のゲノム構造と転写産物。BDV は転写産物をポリシストロン mRNA として発現する。

Fig14
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図14 BDV の核輸送機構
BDV RNP は NLS を持つ蛋白質の働きにより核移行する。X蛋白質は BDV の転写活性を顕著に阻害する。持続感染期に発現する X蛋白質は核内の過剰な P蛋白質を細胞質へと運ぶとともに,vRNP の複製を制御すると考えられる。

3.4. モデル動物
 実験動物への感染では、BDV は明らかな神経病原性を示す。成ラットへの感染では、細胞性免疫が誘導され、ウマの急性型 BD に類似した髄膜脳炎を発症する。しかし、BDV は排除されることなく持続感染を成立させ、成ラットは運動器障害などの神経症状を発症する。一方、免疫系が未成熟な新生仔ラットは、感染によっても免疫組織学的な病変は示さない。BDV が持続感染した新生仔ラットでは、小脳や海馬の低形成を引き起こし、社会行動、攻撃性、学習能力などの情動行動の異常が誘導される。これまでに、BDV が持続感染したラット脳内では、炎症反応の進行に関与するアストロサイト蛋白質 S100B の発現が顕著に低下していることが明らかとなっている。S100B の受容体である RAGE の活性も低下していると考えられ、BDV は炎症反応の進行に機能するこれらの蛋白質を制御することで長期的な持続感染を成功させているのかも知れない。スナネズミへの感染においても、BDV は細胞性免疫を誘導せずに神経症状を引き起こす(図15)。これら実験動物での結果は、BDV の持続感染が免疫非依存的に神経細胞の機能異常を誘導できることを示している。

Fig15
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図15 BDV に感染したスナネズミ
生後 24時間以内に BDV を接種した。感染後 25日目の症状.被毛粗剛になり後肢麻痺などの神経症状を示す。

3.5. 中枢神経系病原性
 BDV 感染による神経系細胞の機能異常の誘導には、P蛋白質の発現が関与していると考えられている。これまでに、P蛋白質は HMGB1 と呼ばれる多機能な宿主因子と特異的に結合していることが判明している(図16)。HMGB1 は脳神経細胞にも高い発現が認められ、細胞外で受容体である RAGE と結合し機能を発揮する。BDV を感染させた神経系細胞では、HMGB1 の機能である神経突起伸長能や細胞遊走能が低下する。P蛋白質は HMGB1の細胞外への放出あるいは RAGE との結合を阻害しているものと考えられている。HMGB1 は核内でも重要な機能を果たしている。HMGB1 は、転写因子と結合することにより、それらの DNA への結合を促進している。面白いことに、P蛋白質が HMGB1 と癌抑制因子 p53 との結合を競合的に阻害していることも明らかとなっている。
 BDV 持続感染細胞では、活性化した ERK の核内移行が抑制され、神経栄養因子 BDNF の刺激による CREB の活性化も観察されない(図16)。これらの作用は、P蛋白質によるリン酸化酵素の阻害が原因であると考えられている。また、最近の報告において、P蛋白質がインターフェロンの産生に関与する TBK-1 と直接結合して、その機能を阻害することが示されている。以上の結果は、P蛋白質の発現が細胞機能に影響を与え、BDV の中枢神経系障害性の本質となる可能性を示している。 個体における P蛋白質の中枢神経系障害性は、P蛋白質をグリア細胞に発現するトランスジェニックマウス (P-Tg) によって証明されている。P-Tg では、約 4ヶ月齢より、雄間の攻撃性の上昇や空間記憶能力の低下などの神経症状を示すことが明らかとなった(図17)。行動異常を示しているマウスの脳内を解析した結果、BDNF の発現低下やセロトニンレセプターの発現異常とともに、顕著なシナプス数の減少が観察された。一方、神経細胞死やグリア細胞の活性化は観察されなかったことより、P-Tg の神経症状は、P蛋白質発現によるグリア細胞の機能障害によると考えられた。

Fig16
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図16 BDV P蛋白質は HMGB1 と直接結合して HMGB1 の細胞外への放出を抑制する。また、核内では HMGB1 と転写促進因子 (例えば p53) との結合を競合阻害している。一方、ERK の活性化や TBK-1 の機能も P蛋白質より抑制されることが知られている。詳細は本文を参照のこと。

Fig17
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図17 BDV P蛋白質をグリア細胞で発現するトランスジェニックマウス
P蛋白質の脳内での発現のみでマウスに行動異常が誘発された。

4. プリオン

4.1. 研究背景
 プリオン病は蛋白質性の感染因子によって引き起こされる神経変性疾患で、プリオンとはこの蛋白質性の感染病原体であり、病原体を構成する主要成分は異常型プリオン蛋白質と呼ばれている。近年、ウシ海綿状脳症 (BSE) がパニックを引き起こすほどの社会問題となり、「プリオンとはなんだかよく分からない危険なもの」という印象が広がっている。しかし、プリオン蛋白質自体はヒトや動物の様々な細胞に広く発現しているごくありきたりな蛋白質で、感染型ではないプリオン蛋白質 (正常型プリオン蛋白質) には感染性も病原性もない。日本では、最近になって社会的にもよく知られるようになったプリオン病であるが、感染症としての研究の歴史は古く、ヒツジのプリオン病であるスクレイピーが感染性疾患であるという報告は 1936年にまで遡る。長い間ウイルス性の疾患であると考えられてきたが、1982年に Prusiner が蛋白質性感染粒子 (プリオン) 説を発表し、ウイルスでも細菌でもない、新しい分野の感染症として、現在も盛んに研究されている

4.2. 正常型プリオン蛋白質の機能解析
 マウス各組織におけるプリオン蛋白質 (PrP) 遺伝子 mRNA 量を感度の高い RT-PCR 法により測定してみると、脳で発現が最も高く、次いで精巣、胎盤、心臓、肺において中程度の発現がみられ、脾臓、腎臓および肝臓ではわずかに発現がみられる。これらの結果から、組織により量の大小はあるものの、ほとんどの組織において PrP は重要な役割を果たしていることが推測される。

 通常、蛋白質の機能を解析する手段として、一番初めにとられる方法が、遺伝子ノックアウト法である。PrP 遺伝子についても世界で 6系統の PrP 遺伝子ノックアウトマウスが作成されており、サーカディアンリズムや長期増強の異常などが報告されているが、一致した見解が得られていない。そこで、PrP 機能を探るために、本研究室では、東京大学大学院農学生命科学研究科 応用免疫学教室 小野寺節教授との共同研究で PrP 遺伝子ノックアウトマウスから作成された神経細胞株 (HpL) を用い、PrP 遺伝子存在下と非存在下での違いについて詳細に解析をしている。酸化ストレスを誘導する血清除去という操作を行うと、HpL はアポトーシスによる細胞死を起こすが、PrP 遺伝子を再発現することにより、その細胞死は防ぐことができた。さらに、哺乳動物の PrP における保存領域であるオクタリピート領域や疎水性領域を欠損した PrP を用いた場合、細胞死が抑制できないことが明らかになった。これらの細胞において、細胞死と細胞内酸化ストレス消去活性の逆相関が見られたため(図18)、PrP 発現はオクタリピート領域や疎水性領域を介して、細胞内酸化ストレス消去能を上昇させることで、細胞死抑制には働くと考えられる。おそらく、PrP はストレス条件下などの特別な条件でのみ、役割を果たす蛋白質なのではないかと考えている。

Fig18
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図18 プリオン遺伝子欠損神経細胞へ空ベクター(EM)、もしくは野生型 PrP (PrP)、オクターリピート領域欠損 PrP(Δ#1)、疎水性領域N末端側欠損 PrP(Δ#2)、疎水性領域C末端側欠損 PrP(Δ#3)のそれぞれの発現ベクターを導入した。これらの細胞の血清除去時のアポト−シス量と細胞内 SOD 活性の測定を行った。その結果、アポトーシス量と細胞内 SOD 活性には逆相関があることが明らかとなった。

4.3.プリオン病のメカニズム
 プリオン病は、自分自身の細胞に発現しているプリオン蛋白質が立体構造変化を起こし、プロテアーゼ難分解性の変性蛋白質 (異常型プリオン蛋白質) が脳内に蓄積することにより (図19)、痴呆などの神経症状を引き起こし、死に至る疾患である。アルツハイマー病などと同じアミロイド病の一種であるが、変性した蛋白質 (異常型プリオン蛋白質) が感染性を持ち、他の個体へと疾患の伝達が可能であることが、通常のアミロイド病と異なっている。プリオン病と呼ばれるものの多くは感染性の疾患であるが、遺伝子変異による遺伝性のものも存在する。また、ヒトで最も多いプリオン病である弧発性 CJD (Creutzfeldt-Jacob Disease) は発症原因が不明である。一般に、プリオン病は種を越えた伝播はしにくいものであるが、BSE は低い確率でヒトにも伝達し、変異型 CJD を引き起こすと考えられている。なお、最も発症例が多いスクレイピーは疫学調査からヒトには感染しないと考えられている。感染性のプリオン病を総称して伝達性海綿状脳症 (TSE) と呼ぶが、プリオン病すべてが感染性というわけではなく、遺伝性のものは一般に感染性が低いことが知られている。

 感染性プリオン病が通常の感染症と大きく異なる点は、感染が細菌やウイルスなどの遺伝子 (核酸) を持った生物により引き起こされるのではないという点である。プリオン病の感染因子 (プリオン) は、一般的な滅菌 (殺菌) 操作では感染性を完全には失わない (表1)。一方、蛋白質の高次構造を完全に破壊する処理はプリオンの感染性を不活化することが出来る (表2)。

 現在のところプリオン病の感染性は、特殊な高次構造に変性した異常型プリオン蛋白質 (PrPSc) が、正常な構造の正常型プリオン蛋白質 (PrPc) を PrPSc に変性させ、反応が連鎖的に進むことで成立すると考えられている。また、PrPSc が極めて安定な構造を持ち、蛋白質分解酵素耐性 (図20)であるために、細胞内外で分解されずに蓄積し、細胞死を引き起こすと考えられており、同様の理由で、経口摂取や医学的処置に置いて不活化されずに感染が広がると考えられている。

Fig19
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図19 正常型プリオン蛋白質は、異常型プリオン蛋白質に接触することにより異常化し、これが繰り返されることにより、神経細胞を破壊するほどの異常型プリオン蛋白質の沈着が起こる。

Table1
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表1 プリオンの不活化に無効な処理

table2
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表2 プリオンの不活化に有効な処理

Fig20
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図20 正常型プリオン蛋白質は proteinase K という蛋白質分解酵素処理すると小さなペプチドにまで分解されるが、異常型プリオン蛋白質が含まれていると、この分酵素処理によって一部分解されずに残る。そこで、このような処理を行った後に ELISA による検査を行うと異常型が含まれていた場合にのみ陽性反応が見られる。また、確認検査としてウェスタンブロット法による検査を行うと、蛋白質分解処理後にも若干分子量の低下したプリオン蛋白質の複数のバンドが認められる。

4.4.プリオン研究において最近明らかになりつつある点
 プリオンとプリオン蛋白質については、多くの研究者が様々なアプローチで研究を行っており、以下のような点が最近明らかになりつつある。

 最近 PMCA (protein misfolding cyclic amplification) と呼ばれる方法が開発された。この方法により、少量の異常型プリオン蛋白質を Seed(種) として、正常型プリオン蛋白質存在下で超音波破砕とインキュベーションを繰り返すことで、蛋白質分解酵素抵抗性のプリオン蛋白質を増幅することができるようになった。現在のところ、ハムスター、マウス、シカ、およびヒトのプリオンについて増幅が可能であることが報告されている。このようにして作出された蛋白質分解酵素抵抗性プリオン蛋白質は動物に接種すると、用量依存的にプリオン病を発症させることができると報告されている。さらに、プリオン病を発症する前の動物の血液から PMCA を用いて、蛋白質分解酵素抵抗性のプリオン蛋白質を増幅して検出することもできるとされており、高感度な生前診断法としての有用性も期待されている。しかし、この増幅された蛋白質分解酵素抵抗性のプリオン蛋白質とプリオン感染動物から得られる異常型プリオン蛋白質の相違については、今後詳細に解析されなければならない。

 PMCA を用いて、正常型から感染型への変換に関与する因子が報告されつつある。マンガンやカルボキシル酸、界面活性剤、ヘパラン硫酸、遊離スルフィドリル基などが正常型から異常型への変換を促進する作用のあることが報告されている。今後もこのシステムを用いて変換機構が明らかになっていくであろう。また、細胞レベルおよび個体レベルでこれらの因子の関与を確認されることで、治療法開発につながる知見も得られてくるものと思われる。

 正常型プリオン蛋白質の生理的機能が明らかにされつつある。ノックアウトマウスを用いた解析には限界があり、一方で細胞レベルでの解析が進んでいる。その例として本研究室で用いている PrP 遺伝子ノックアウト神経細胞株が挙げられる。その解析から、正常型プリオン蛋白質は細胞内銅量の維持作用があり、抗酸化ストレス制御能を持つことが明らかとなった。この細胞レベルの解析から、正常型プリオン蛋白質は、酸化ストレス発生時など緊急時に機能を果たす蛋白質であるということが推測される。プリオン蛋白質は組織や細胞によって異なる修飾を受けることが知られており、今後は、細胞レベルで明らかとなった知見が、個体レベルの解析へと応用され、生体内での正常型プリオン蛋白質の存在意義について明らかになっていくものと考えられる。

 プリオン蛋白質の分解機構は不明である。異常型プリオン蛋白質は蛋白質分解酵素による分解に対して耐性を示すために感染細胞内に蓄積するが、まったく分解されない訳ではなく、半減期 24時間程度で分解される。プリオン持続感染培養細胞株を用いた研究から、抗体などを用いてプリオン蛋白質の異常型への変換を阻害すると、異常型プリオンの蓄積量が減少し、持続感染状態から離脱させることができると報告されている。これらのことから、プリオンの感染は異常型の生成と分解のバランスにより成立していると考えられている。また、正常型プリオン蛋白質は特定の部位で切断されることが明らかとなっており、切断されたものは異常型への変換が起こらないことが知られている。最近、正常型プリオン蛋白質の切断に関わる酵素 (メタロプロテアーゼ ADAM10)が明らかになった。今後は、これらの知見が治療法開発などに応用されていくであろう。

4.5. 血液製剤のプリオンに対する安全性評価
 血液製剤メーカーである株式会社ベネシスとの共同研究として、ハムスターのクレイピー株である 263K をモデルプリオンとして用いて血液製剤の安全性について検討を行なっている(図21)。異常型プリオン蛋白は、CJD や vCJD の原因物質として考えられている。異常型プリオンの高感度検出法については種々の機関から報告されているが、条件設定が難しく、それぞれの機関で堅牢性を確保した測定法の確立が必要である。異常型プリオンを高感度に検出する方法が確立していない現在は血液製剤の製造工程で異常型プリオンを除くことが重要であり、そのための研究を行っている。

Fig21
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図21 ハムスターへのスクレイピー感染
血液製剤の安全性評価に用いたプリオンであるスクレイピー 263K を感染したハムスターは、接種後約 100 日で行動障害が起こり、その後死亡する。臨床症状の発生したハムスターの脳は典型的な病理組織学的変化が生じる。

5. SARS コロナウイルス

5.1. 背景
 SARS コロナウイルスは呼吸器系に感染し、特に肺に強い細胞傷害を与え、致死率が約 10%の疾患を引き起こす。このウイルスの宿主レセプターとして、ACE2 という膜分子が同定されており、ヒトの肺や腸管にこの ACE2 分子の強い発現が認められている。実際、SARS 患者の死後臓器の検討でも、肺や腸管に大量の SARS コロナウイルスの存在が確認されている。それ以外にも、腎臓、皮膚、甲状腺、下垂体、肝臓、大脳などにもウイルス粒子の存在が確認されている。ただ、これらの発現は ACE2 の発現とは必ずしも関連性が認められてはいない。

 培養細胞レベルでは、アフリカミドリザルの腎臓上皮由来の Vero E6 に高い感染感受性を示し、強い細胞傷害性とともに、大量の子孫ウイルスを放出する。

5.2. SARS コロナウイルスの持続感染
 Vero E6 細胞株に SARS コロナウイルスを感染すると、3日以内に強い細胞傷害が現れ、ほとんどの細胞が死滅したかに見える。しかし、その後も培養を続けることにより、再び生細胞が現れ、増殖し続ける細胞株が得られる。この状態の細胞の培養上清中には大量の感染性粒子が放出されていることから、感染を受けた Vero E6 細胞の一部の細胞集団は持続感染を成立することが明らかになった(図22)。

 そこで、この生き残り細胞の細胞クローニングを、96 穴マイクロプレートにウェル当たり 1 細胞播くことにより行い、計 87 クローンを分離した。その結果、4 クローンのみがウイルス RNA が陽性であった。この内の3株は、クローン後に継代培養を続けると徐々にウイルス RNA が陰性に転じたが、#21 クローンのみ、長期間安定して持続感染を維持し続けた。この #21 細胞から産生されるウイルス粒子は、エンベロープ蛋白質が少ない特徴があったが(図23)、感染性に大きな影響を与えるものではなかった。 Vero E6 細胞を非感染状態で同様に細胞クローニングを行い、32 クローンを分離し、レセプター ACE2 の発現程度を検討したが、ほぼ同じ程度の発現程度であった。しかし、これらのクローン細胞に SARS-コロナウイルスを感染すると、やはり、持続感染成立の程度に大きな差異があることが判明した。従って、レセプターの発現と持続感染成立との相関性は認められなかった。

 同様のコロナウイルス持続感染成立という知見は、他のコロナウイルス、たとえばマウスの肝炎ウイルス (mouse hepatitis virus; MHV) やヒトコロナウイルスである OC43 や 229E でも報告されているが、これらはマイクロプレートに播く際にウェル当たり 1細胞ではウイルス RNA 陽性クローン細胞を分離することができなく、最低でも 100 細胞を播くことによって初めて RNA を維持し続ける細胞集団が得られている。このように、コロナウイルスには、細胞クローニングという少数の細胞からの増殖を強いられる過程でストレスがかかり、その際の宿主ストレス応答がウイルスを細胞から排除する機構があるのかもしれない。

 現在、この #21 クローン細胞内の SARS コロナウイルスの全長遺伝子配列を決定し、元の野生型ウイルスと異なる変異領域の同定とともに、そのような変異の意義について検討を行なっている。

Fig22
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図22 Vero E6 細胞に SARS コロナウイルスを感染すると、2〜3日目に強い細胞傷害が出現するが、その後も培養を続けると細胞の増殖が認められ、これらはウイルスを産生しながら細胞も増えていく、いわゆる持続感染状態になっている。上は、細胞の生死を判別するための顕微鏡像で、その時のウイルス抗原の発現程度をみるための蛍光顕微鏡像。

Fig23
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図23 Vero E6 細胞に SARS コロナウイルスを感染し、その後の2〜3日目の急性期に産生されるウイルス粒子と、持続感染を成立した細胞を数カ月培養した後の細胞から産生されるウイルス粒子を電子顕微鏡で比較観察を行ったもの。生化学的解析の結果と一致して、粒子表面のエンベロープ構造が持続感染期の粒子では希薄になっている。横の棒は、100 nmのサイズを示す。

5.3. ヒトおよびラットの神経系細胞へのSARS コロナウイルス感染
 SARS コロナウイルスの標的は、細胞傷害が引き起こされ、致死性の原因になっている肺以外にも、特別の細胞傷害が引き起こされない腸管や脳もウイルス複製が起こっている。実際、ヒト結腸癌由来細胞株である CaCo-2 細胞に感染すると、Vero E6 と同様に、培養液 1 ml 当たり 107 以上もの感染性ウイルス粒子を産生し、顕著な細胞傷害生は認められなかった。一方、ヒトとラットの神経系細胞株である、それぞれ OL と C6 細胞株への SARS コロナウイルス感染では、培養液 1 ml 当たり 101.5 - 4.0 程度の感染性ウイルス粒子を放出することが明らかになった。この場合にも細胞傷害性は認められなかった。これら神経系細胞株には、SARS コロナウイルスのレセプター ACE2 分子の発現は検出限界以下であり、何らかの別のレセプター分子が神経系細胞に種を超えて存在しているのかも知れない。

5.4. SARS コロナウイルス感染時の lipid rafts の役割
 細胞膜上に存在する lipid rafts は、さまざまなウイルスが感染する際に、また感染後のウイルス粒子形態形成や宿主細胞からの粒子放出過程で重要な役割を演じていることが明らかにされている。私たちは、SARS コロナウイルスが宿主細胞へ侵入する過程でこの lipid rafts が必要であることを初めて明らかにした。

 Vero E6 細胞を methyl-β-cyclodextrin (MβCD)で処理することにより、膜表面からコレステロールを除去すると、SARS コロナウイルスの感染が顕著に低下すること、除去後にコレステロールを添加すると、再び感染が成立ことを見出した。ウイルス吸着後3時間目に MβCD 処理しても大きな影響は認められなかったことから、ウイルス複製の初期過程に影響していると考えられた。また、細胞分画により、lipid rafts はレセプター ACE2 と同じ局在を示さないことから、ACE2 を介する吸着後のステップで何らかの役割を演じてウイルス粒子の侵入に貢献しているものと考えられる。

5.5. SARS コロナウイルスの熱感受性
 SARS コロナウイルスの熱感受性試験を、60 ℃・10 時間処理が導入されている各種血液製剤について検討した(図24)。その結果、SARS コロナウイルスは 60 ℃処理で全体に不活化されやすい性質であることが判明したが、Antithrombin III 製剤への SARS コロナウイルス添加の条件では、60 ℃、30 分処理でも僅かに感染性を残しており、それぞれの製剤に用いている安定化剤によっては本ウイルスの熱安定性に違いが生じることが明らかになった。

Fig24
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図24 血漿分画製剤中のSARSコロナウイルスの不活化実験結果
製剤は 60 ℃で 10 時間の処理を施されているが、1時間以内に検出限界以下にまで不活化されていることが確認できた。

6. 鳥インフルエンザウイルス

6.1. 背景
 現在、人類が直面している最大の脅威の1つは新型インフルエンザ出現によるパンデミックである。20世紀には、スペインかぜ (1918年)、アジアかぜ (1957年)、香港かぜ (1968年) の 3回のパンデミックが発生しており、歴史的にみてもいつパンデミックが起こっても不思議でない状況にある。

 新型インフルエンザは高病原性の鳥インフルエンザウイルスが変異して発生する。現在は、鳥インフルエンザウイルスが、効率は悪いがごく一部のヒトにも感染を整理させている状況であり、この鳥インフルエンザウイルスが、何らかの形で、この強い病原性を維持した状態でヒトからヒトに感染伝播しやすいものが生み出されるとパンデミックとなる(図25)。野鳥の持っている鳥インフルエンザウイルスが家禽類やブタに感染することで、そこで、ヒトに感染しやすい形に変異する可能性がある。また、感染したヒトにおいても変異を遂げてヒトに感染しやすいものが生まれるかも知れない。現在は、鳥インフルエンザの汚染地において疫学調査を行うことによって、流行拡大を未然に防ぐ努力が行なわれている段階といえる。現在、遺伝子工学的な手法を用いて、このような流行に備えたワクチン生産が進められている(図26)。

Fig25
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図25 パンデミック型のインフルエンザウイルスが出現する可能性
高病原性鳥インフルエンザウイルス (鳥型) とヒト型インフルエンザウイルスの両方に感受性を示すブタでは、両方のウイルスが同じ感染細胞内で共存する可能性があり、そこで遺伝子の交換、いわゆる交雑 (遺伝子再集合) が起こり、ヒトに感染感受性が高く、しかも元の鳥インフルエンザウイルスの持っていた高病原性が持ち込まれた、新型インフルエンザウイルスが出現する可能性がある。頻度は低いと思われるが、鳥インフルエンザウイルスに感染した患者体内でも同じことが起こる可能性が考えられる。さらに、鳥の体内でたまたま起こった遺伝子変異がヒトにも容易に感染でき、しかも高病原性を維持している新型が出現する可能性も考えられる。

Fig26
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図26 鳥インフルエンザウイルスの模擬ワクチンの開発
実際の患者から分離された鳥インフルエンザウイルス H5N1 の免疫誘導にかかわる粒子表面の構造蛋白質である HA および NA の遺伝子に変異を加えて弱毒性にしたもの、そして他の遺伝子は毒性の弱いヒトのインフルエンザウイルス由来のものを用いて、それぞれを培養細胞で発現させてキメラのウイルス粒子を作る。これは、いわゆるリバースジェネティクスという手法を用いたものである。パンデミックウイルス出現に備えて、わが国でもこのようにして作製されたワクチン株の生産が進められている。

6.2. タイの患者由来H5N1分離株の性状解析
 タイの RCC-ERI (李永剛 ポスドク研究員)では、H5N1 の感染者が高率にリンパ球減少症を引き起こしていることに着目し、ヒトリンパ球における本ウイルスの感染感受性について検討している(図27)。

Fig27
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図27 ヒトT細胞株への鳥インフルエンザウイルス H5N1 の実験感染
タイの患者から分離された H5N1 をヒトT細胞株である MOLT-4 へ感染させ、24 時間後に、そのウイルス抗原の発現程度を H5N1 に対する特異抗体を用いた蛍光抗体法により調べたものである。

7. デングウイルス

7.1. 研究背景
 デングウイルスは直径 40〜50 nmの球形ウイルスで、フラビウイルス科、フラビウイルス属に分類される。蚊 (主に、ネッタイシマカ、時にヒトスジシマカ) によって媒介される熱性疾患を引き起こす。蚊の吸血時に、蚊の唾液中に存在していたウイルスが、ヒトの毛細血管内に、または毛細血管周囲の組織に注入され、そこに存在している主として単球/マクロファージ系細胞を宿主として増殖する。このウイルスが血管を通して全身に回る。感染者の多くは不顕性に経過するが、一部の感染者では、この感染複製急性期(感染3〜7日目)に突然の発熱 (39〜40 ℃) で始まるデング熱や、血管透過性の亢進による血漿漏出を伴うデング出血熱を引き起こす。デング熱は、感染後2〜10日ほどで突然の高熱で発症し、頭痛、眼の奥の痛み、腰痛、筋肉痛、骨痛が主な症状として現れ、さらに食欲不振、腹痛、吐き気、嘔吐、脱力感、全身倦怠感も現れることがある。全身のリンパ節の腫れが見られる場合がある。また、発熱してから3〜5日目には胸、背中、顔面、腕、脚に発疹が出ることもある。デング熱は1週間から10日ほどで通常は後遺症を残すことなく回復する。一方、デング出血熱は致死的な病態を示すことがある。デングウイルスに感染したヒトのうち、最初はデング熱とほぼ同様に発症し経過するが、熱が平熱に戻るころに血液中の液体成分(血漿)が血管から漏れ出したり、出血の症状が現れたりすることがあり、デング出血熱と呼ばれている。デング出血熱では、補体系の異常活性化が認められ、血小板は減少する。血漿漏出がさらに進行すると、循環血液量の不足からショック症状を示すようになる。

 デングウイルス感染者は、世界の熱帯地域で年間1億人にも達している。その内、約 25万人がデング出血熱を発症すると推定されている。致死率は国によって数パーセントから1パーセント以下と様々であるが、全世界での感染者総数が多く、さらに近年その感染者は増大していることから深刻な問題となっている。デングウイルス感染症は有効なワクチンがないこと、発症の機序が明らかになっていないことなどから病態解明および治療法の確立が望まれている。

7.2. デングウイルスの病態機序
 デングウイルスは、4つの血清型(1型、2型、3型、4型)に分けられる。これまでの多くの報告は、1)すでにデングウイルスに感染し、その血清型のウイルスに対する抗体を産生しているところに、異なる血清型に属するデングウイルスで 2回目に感染した場合に、最初のウイルスに対する抗体が、2回目のウイルスの感染を助ける、すなわち antibody-dependent enhancement (ADE) という現象で異常なウイルス産生が引き起こされることがデング熱・デング出血熱につながるという説明(図28) ;2)デングウイルスの非構造蛋白質のひとつ、NS1が血清中に存在し、この可溶性 NS1の量が症状の強さに相関関係にあるという知見;3)デング熱やデング出血熱の症状は、血液中の補体系の異常活性化が関与しているという知見、などに集中している。また、国によってもそれぞれの状況があるが、血清型によって、1回目の感染で症状を発揮するものもあれば、1回目と2回目に感染する組み合わせによって症状が出る頻度に違いが認められるという知見も見られる(図29)。しかし、このようなウイルス側に限った研究だけでは説明できないのが、同じように感染してもごく一部の感染者のみが重い症状を引き起こすという事実である。これは何もデングウイルスに限ったことではない。ほぼすべてのウイルス感染症は、感染しても症状を示さない、いわゆる不顕性感染があることは事実である。ほとんど場合にこれが実際、体内の何らかの因子に起因しているのかどうか明らかになっていないのが現状である。しかし、HIV ではウイルスレセプターに生まれながらに変異がある人達では、感染しない、もしくは感染しても発症しにくいなどの知見が得られている。そこで、いろいろなウイルス感染症について、宿主側に原因を求めるアプローチも取られ始めてきた。デングウイルスの場合においても、どのような感染者グループが発症に向かうのか、いろいろな宿主遺伝子の変異との関連性が探られ始めている。

 タイの RCC-ERI (黒須 剛 特任助教)では、デングウイルスの NS1と結合性を示す宿主因子 (Clusterin) の同定に初めて成功し、この結合がデング出血熱を引き起こす原因になっているのではないかと、タイの患者血液を用いた研究を進めている(図28)。

Fig28
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図28 デングウイルスに感染した患者の病態誘導機序
デングウイルスは、単球(Mo)/樹状細胞(DC)に感染する。現在考えられているデング出血熱の病態機序は、主なもので2つある。その1つは、デングウイルスに最初に感染した結果産生される抗体が、2回目に感染したデングウイルス (別の血清型)に対して中和に働くよりもむしろ感染を助ける機能 (Antibody-dependent enhancement; ADE)があることが原因となっているというものである。もう1つは、感染するウイルス株によって病原性が異なっている可能性である(図29)。私たちは最近、デング出血熱患者で認められる補体活性化、およびウイルス非構造蛋白質である NS1が患者プラズマ中に高濃度になることに注目し、NS1が結合性を示すプラズマ中成分の検索を行い、通常、補体活性化のブロッカーとして機能している宿主補体活性抑制因子(Clusterin)が NS1に強い結合性を示すことを明らかにした。この知見は、NS1により、この因子の機能が抑制された結果、補体の異常活性化が起こり、Plasma leakage へと病態が進行すると考えられる。

Fig29
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図29 デングウイルス1型〜4型 (DV1〜DV4) の感染によってデング熱 (DF)、および症状の重いデング出血熱 (DHF) を発症した割合
1回目の感染で発症する割合は DV1と DV3 で高く、DV2 と DV4 では低い。従って、DV2 と DV4 では、2回目に感染した場合に症状が現れる率が高い。この傾向は、DHF 発症の場合により顕著な結果として現れる。(Anantapreecha, S., Chanama, S., A-nuegoonpint, A., Naemkhunthot, S., Sa-Ngasang, A., Sawanpanyalert, P., and Kurane, I. Serological and virological features of dengue fever and dengue haemorrhagic fever in Thailand from 1999 to 2002. Epidemiol. Infect. 133: 503-507, 2005)

8. E型肝炎ウイルス

8.1. 研究背景
 ウイルス性肝炎は、A型、E型肝炎ウイルスのように、食べ物を介して感染する流行性肝炎の原因となっているものと、B型、C型肝炎ウイルスのように、血液を介して感染する血清肝炎の原因となっているものに大きく分けられる(図30)。私たちは、このうちのE型肝炎ウイルス (HEV) について研究を進めている。

 これまで、HEV は、糞口・水口感染によりしばしば大規模な流行を生じることで知られてきたものである。従って、E型肝炎発生地域は主として衛生状態の良くない開発途上国に限られると考えられてきた(図31)。わが国では旅行者が持ち帰る輸入感染症との認識はあったが、疫学上さほど重要視されてこなかった。しかし、近年、わが国においてもブタや野生のシカ、イノシシなどの動物で感染が確認され、しかもその動物の肉を生食することによる感染事例が報告された(図32)。このように、E型肝炎は人獣共通感染症 (Zoonosis)であり、非流行地と思われる地域においても土着していると考えられるようになった(図31)。また、HEV に感染したヒトの輸血を介した医原性感染の事例も報告されている。

 HEV はウイルス膜を持たない直径約 30〜34 nmの球状 RNA ウイルスで、現在は Hepeviridae に分類されている。ウイルスゲノムは全長約 7.2 kbのプラス鎖1本鎖の RNA で、配列は Open reading frame (ORF) 1、ORF2 および ORF3 で構成されている(図33)。この内、ORF2 は構造蛋白質をコードしており、この領域の塩基配列から、少なくとも4つの遺伝子型 (GenotypeT〜W型)の存在が知られている。T型は主に中国を中心としたアジア地域や北アフリカで認められ、U型はメキシコや南アフリカ、V型は南北アメリカ、欧州の広い範囲で認められる。日本ではこのV型が多くを占めているが、北海道内では中国で認められるW型の存在も知られている。HEV は感染個体に一過性のウイルス血症を起こし、糞便中にウイルスを高濃度に排出させることで知られている。

Fig30
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図30 ウイルス性肝炎を起こすウイルスの性状比較

Fig31
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図31 先進国と途上国における HEV 感染状況の違い

Fig32
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図32 日本における HEV 感染の状況

Fig33
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図33 HEV の遺伝子構造とそれぞれの遺伝子がコードしている蛋白質の性状

8.2. わが国のブタのHEV感染状況
 農業生物資源研究所・家畜ゲノムユニットの安江博グループとの共同研究により、わが国の各地域における豚舎のブタの HEV 汚染状況について、ELISA による特異抗体の検出を行う血清疫学、さらに RT-PCR による HEV 遺伝子検出を行う分子疫学を行っている。わが国では主として Genotype III に属する多様なウイルスとともに、北海道ではさらに Genotype IV も認められる。全体に、わが国のブタの感染状況は高く、今後の対策が重要な課題である。

8.3. ブタへの HEV 感染実験
 私たちが行ったブタへの感染実験(酪農学園大学ハイテクリサーチセンター内の大型動物のP3レベルでの感染実験が可能な施設;萩原克郎准教授グループとの共同研究として)(図34)でも、ウイルスに対する IgG が検出されるのとほぼ同時期に血中のウイルスは消失していた。しかし、それ以降も糞便中では検出され続けた(図35)ことから、下部消化管が HEV 増殖の場として重要な部位であると考えられる。HEV 感染したブタは、感染後一過性の微熱を示したが、観察期間中に肝機能マーカー値及び臨床症状に異常所見を認めなかった。一方、ヒトに感染した場合は Genotype によって肝障害の程度が異なる事が報告されている。

Fig34
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図34 ブタへの HEV 感染実験を行っている様子

Fig35
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図35 実験したブタで観察された血清と糞便中への HEV 放出の時間的経過とその量

8.4. 臨床分離株
 現在のところ、HEV はブタに接種することによりウイルスを増殖させることが可能である。そこで、血液製剤メーカーである株式会社ベネシスとの共同研究として、自然感染したブタ由来のウイルスをブタへ感染実験することにより、得られたブタ糞便中からウイルスサンプルを精製し、これをウイルス株として幾つかの実験系を開発している。
 特に、Genotype III の多様性について、また Genotype IV との近縁関係も含め、それらの遺伝子配列についての比較研究を行っている。日本では、蔓延状況やその伝播ルートが未だそれ程明確にされておらず、今後、食の安全のため、また医原性の感染症を引き起こさないためにも、このような研究の方向性は緊要な課題である。

8.5. HEV 持続感染系の開発
 私たちは幾つかの感受性細胞を用いて、培養細胞を用いた感染価測定系を開発するとともに、ウイルス複製率、細胞傷害性、また、持続感染成立の有無などについても検討している。これまでに入手した 4つのウイルス株を用いて、HEV に高い感受性を示すA549 などの細胞株への感染を試みた結果、これまでの概念で型別された Genotype III と IV といった遺伝子上の近縁性だけからは明確な違いが認められておらず、このような研究の方向性は、このウイルスと肝炎という病態誘導機序を理解する上で重要である。

8.6. 血液製剤安全性のための HEV に対する対策
 HEV はエンベロープを持たない、しかもウイルスの中でも小型のウイルスに属し、血液製剤に混入していた場合には、その対応に困難が予想されるものである。そこで、血液製剤メーカーである株式会社ベネシスとの共同研究として、このウイルスの加熱による不活化の条件とともに、各種フィルター処理による除去効果等について検討を重ねている。

9. パルボウイルスB19

9.1. 研究背景
 ヒトパルボウイルスB19は伝染性紅斑や溶血性貧血、さらに母子感染による胎児水腫と流産の原因ウイルスであり、近年の輸血血液や血液製剤の安全性という観点から感染価測定法の開発は極めて緊要な課題となっている。

9.2. バイオアッセイ系の開発と血液製剤の安全性に関する検討
 血液製剤メーカーである株式会社ベネシスとの共同研究として、培養細胞を用いる、B19の基本的なバイオアッセイ系を確立した。この系を用いて、各種血液製剤を用いた B19不活化条件について検討した。それぞれの血液製剤には、その製剤の活性維持のための安定化剤を用いているが、この安定化剤によって、本ウイルスの熱不活化条件に違いが認められるという、極めて重要な知見を得た。また、国際的にも、ヒトパルボウイルスB19を用いなくとも、そのモデルウイルスとして、イヌやブタのパルボウイルスを検討すれば、安全性の検定として認められる状況にあるが、私たちはこのモデルウイルスとヒトの B19とは熱不活化条件において顕著な違いを示すことを明らかにし、モデルウイルスとターゲットウイルスとの性状の違いについて十分に理解しておく必要があることを世界的に示した(図36)。

Fig36
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図36 ヒトパルボウイルスB19の 60℃液状加熱試験結果

10. 新しい発想によるウイルス感染症の迅速診断法の開発

10.1. 研究背景
 近年のエマージングウイルス感染症出現は、感染症に対する対策が不十分であることを世界的に再認識させている。特に、SARS 対策として、世界の空港で “発熱” だけをマーカーに感染者を見つける努力がされたことは記憶に新しい。また、天然痘ウイルスなど、強毒なウイルスがバイオテロに用いられる可能性が指摘され、世界的な対策の必要性が叫ばれるようになっている。最近では、鳥インフルエンザウイルス H5N1がアジアばかりではなく、中東・ヨーロッパへも伝播し、パンデミックウイルスが出現すれば世界的規模になると予想され、人類にとって大きな脅威となる。
 これまでのウイルス感染症診断法は、ELISA や PCR など、免疫学的、分子生物学的な手法を用いたものである。最近の大きな進展は、わが国のインフルエンザ診断で実用化が進んでいる迅速診断法としてのイムノクロマトグラフィーや、各種感染症に対する迅速で、特別の設備を要しない遺伝子診断法としての LAMP 法が挙げられる。しかし、これらはいずれも、用いられている抗体の特異性やプライマーの精度改良に主眼が置かれているために、ほぼ限界に達していると思われる。

10.2. 近赤外分光法によるウイルス感染症診断法の開発
 近赤外領域は可視領域と赤外領域の間にはさまれる 700 nmから 2500 nmの領域のことを指す(図37)。650 nm以下の領域はヘモグロビンの吸収が高く、一方 1100 nm以上の領域では水の吸収が圧倒的に大きいため、これらの領域では水やヘモグロビン以外の分子についての情報を得ることが難しい。しかし、650 nmから 1100 nmの領域ではヘモグロビンも水も吸収が小さく、水やヘモグロビン以外の分子の変化も分析することができる。このため、可視―近赤外領域を含む 650-1100 nmは「光の窓」と呼ばれ、生物学的なサンプルの測定に適していることが明らかになっている。原理的には、血清、細胞、組織、鼻腔吸引液、糞便、発育鶏卵、などウイルス学研究で用いられるサンプルのいずれにおいても測定可能なだけでなく、人体に安全なのでヒトの体表からスペクトルを得ることも可能である(図38)。このように利点を多く持ったこの方法を感染症診断に応用すれば、大きな技術革新になると思われる。

 しかし、近赤外領域の吸収バンドはブロードであるためオーバーラップが広範囲で起こり、古典的な分光法に用いられる、スペクトル取得→バンドの帰属→定性定量分析または構造解析という方法からは有用な情報を得ることが難しい。また、吸収スペクトルが環境により影響を受けることから、1つだけのスペクトルからでは有用な情報を得ることが難しい。そこで、私たちは統計学をスペクトルに適用する解析手法、すなわち多変量解析を用いて解析を行っている。多変量解析とは、スペクトルのような多変量データに対して統計的手法を用いて、違いを引き立たせた上で微小な違いを見つける方法である。統計用語では、このことを「データの分散を最大にする」と言い、多変量解析の一番基本になる主成分分析 (Principal component analysis: PCA)でこの処理を行ってサンプル群の傾向を際立たせるという操作を行っている。主成分分析では、主成分と呼ばれる新たな軸でサンプル群を比較することにより、目的とする群間で吸収の違いの大きい波長が明らかになってくる。例えば、ウイルス感染サンプル群と非感染サンプル群を比較したい場合、まず感染/非感染の明らかなサンプル (Test sample) でまず主成分分析を行った後、感染群と非感染群で比較を行い、任意の2つの主成分軸で2群をプロットし、きれいに分かれる主成分軸を見つける (これをモデルの作成と言う)。これら2つの主成分軸で感染未知サンプルスペクトル (Masked sample もしくは unknown sample) をプロットした時、感染群と非感染群のどちらの空間に入るかで診断を行うことができる。さらに、さまざまな種類のウイルス感染の有無でモデルが作成できた場合、理論的には1回のスペクトル測定でさまざまな種類のウイルス感染を同時に診断することも可能となる。

 最近、私たちは、近赤外分光法と多変量解析を用い、プリオン感染および HIV 感染の診断モデルの作成に成功した。本研究の特色は、この方法は非侵襲迅速診断法の可能性を秘めている、技術的な革新さにある。現在のフォーカスは、1)インフルエンザウイルスという呼吸系の感染症を、患者の鼻汁を用いて瞬時に診断できることを検証すること、2)インフルエンザワクチンは、発育鶏卵へ インフルエンザウイルス A型 (H1N1、H3N2)と B型を接種することにより製造されているが、卵ごとにこのウイルスの増殖性や他の細菌などの夾雑物の混入を瞬時にキャッチできる品質管理用にこの近赤外分光法を応用開発できないか検証すること、3)輸血や血液製剤への混入が問題となっているウイルス、たとえば HIV、HBV、HCV、HTLV-I などの検出が血液もしくは血清を用いて検出できないかを検証すること、4)現在、わが国の牛は市場に上がるまでに BSE 対策として全頭検査が行われているが、これが、農業分野でフルーツの甘みを木に生っている状態で測定できるように、またマーケットに出るまでにこの方法で甘みで仕分けが行われるなど実用化が進んでいるように、BSE 検査にも生前検査法として実用化できないかを検証することである。

 私たちの最終目標は、これら感染症について非侵襲的に迅速診断できるように、実用化を進めることである(図39)。

Fig37
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図37 ヘモグロビンや水の吸収が少ない 650 nmから 1100 nmの領域は、生体に対する透過性が優れているため、「生体の光の窓」と呼ばれ、非侵襲測定に適している。この領域は、果実の糖度・水分量測定や脳機能解析で既に用いられている。

Fig38
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図38 感染サンプルと非感染サンプルのスペクトルの違いを多変量解析で明らかにする。その情報をもとに、インフルエンザウイルス、プリオン病などの感染症診断法を開発し、個体を直接診断できる非破壊法としての確立を目指している。

Fig39
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図39 現在、インフルエンザの診断は鼻腔・咽頭拭い液や吸引液を採取後、イムノクロマト法などにより行われている。この鼻汁等の採取は患者への負担となるだけでなく、感染性廃棄物の発生などの問題がある。また、イムノクロマト法は高価な試薬を必要とする。近赤外分光法による非侵襲診断により、安価で廃棄物の発生のない、迅速な診断ができるようになることが期待される。

ウェブサイトリファレンス
プロフィール

生田 和良 ( Kazuyoshi IKUTA )

ウイルス免疫分野・教授


E-Mail ikuta@biken.osaka-u.ac.jp


1973年神戸大学農学部卒業
1975年神戸大学大学院理学研究科修士課程修了
1979年大阪大学大学院医学研究科博士課程修了
1979年大阪大学微生物病研究所感染病理学部助手
1989年大阪大学微生物病研究所感染病理学部助教授
1989年北海道大学免疫科学研究所教授
1989年現職

趣味 : 愛犬との散歩。


Key Word : 感染症、免疫系、中枢神経系、腸管系、HIV、ボルナ病ウイルス、プリオン、SARSコロナウイルス、鳥インフルエンザウイルス、デングウイルス、E型肝炎ウイルス、パルボウイルスB19、感染症迅速診断法