微研の歴史

大阪大学微生物病研究所は1934年の設立以降、微生物病をキーワードに、
病原体や感染症、免疫、がんを中心に研究を展開し、生物学分野における基礎研究を牽引してきました。
80年以上の歴史の中で、さまざまな研究者が切磋琢磨しながら傑出した功績をあげています。
2010年以降は文部科学省共同利用・共同研究拠点として生物学分野の研究活性化に広く貢献しています。

  • 歴史
  • 開発・発見

1930

谷口 腆二(たにぐち てんじ)

大阪医科大学(当時)細菌血清学教授。大阪や神戸が外来伝染病の侵入門戸になりつつあったことを危惧し、関西に微生物病研究機関設立を強く要望、当時の大阪医科大学学長楠本長三郎とともに本研究所の設立に寄与した。第3代所長。

山口 玄洞(やまぐち げんどう)

当時関西を代表する実業家。自らの財産を公共事業や社寺への寄進という形で社会還元。谷口腆二らの要請を受けて本研究所設立のために20万円(現在の数億円相当)を寄附した。

1934

大阪大学微生物病研究所設立

山口玄洞からの寄附を受けて大阪市北区堂島西町3番地に研究所本館が竣工。竹尾結核研究所と大阪特殊皮膚病研究所の2機関を併合し、大阪帝国大学で最初の附置研究所として発足。

19501950年頃

食中毒原因菌(腸炎ビブリオ)の発見
藤野 恒三郎(ふじの つねさぶろう)

1950年に大阪で起きた「しらす中毒事件」をきっかけに食中毒の原因菌「腸炎ビブリオ」を発見。微生物病研究所におけるさらなる研究によって全ゲノム解析が進み、現在は毒性の原因となる遺伝子が同定され、下痢を引き起こすメカニズムも明らかになりつつある。

19601960年頃

細胞融合現象の発見
岡田 善雄(おかだ よしお)

当時は細胞同士が合体することはと考えられていたが、ウイルス感染による細胞融合現象を発見。この発見がきっかけで細胞レベルでの遺伝学やウイルスを原因とするがんの研究が飛躍的に発展し、バイオテクノロジーの柱のひとつとなった。

麻しんワクチン開発
奥野 良臣(おくの よしおみ)

麻疹ウイルスの単離に米国のエンダース博士と同時期に成功。その後麻しんワクチンを開発。ニワトリの孵化卵を用いたワクチン製造法を世界で初めて採用し、現在も用いられている。

1967

吹田キャンパスに移転

大阪大学の吹田キャンパス統合計画の第一陣として、現在地に移転。

19701970年頃

ウイルス由来のがん遺伝子の発見
豊島 久真男(とよしま くまお)

ニワトリの肉腫をひきおこすウイルスから、がんの原因となる遺伝子(がん遺伝子)を発見。

19801980年頃

水痘ワクチンの開発
高橋 理明(たかはし みちあき)

長男の水痘発症をきっかけにワクチン開発に着手。現在も(一財)阪大微生物病研究会が高橋の開発したワクチンを製造している。

1993

本研究所附属病院が医学部附属病院と統合・合併

20002000年頃

自然免疫システムの解明
審良 静男(あきら しずお)

病原体に対抗する免疫系が作動開始する分子メカニズムを解明。現在も世界最先端の研究を展開している。

GFP マウス(グリーンハウス)の作製
岡部 勝(おかべ まさる)

世界に先駆けて全身が緑に光るグリーンマウスを作製。生体内で細胞を可視化できるこの技術は生物学分野において様々な研究に貢献している。

21世紀COE「感染症学・免疫学融合プログラム」が採択

2005

日本・タイ感染症共同研究センターの始動

感染症国際研究センターの設置

2007

世界トップレベル国際研究拠点「免疫学フロンティア研究センター」始動

2008

グローバルCOE「オルガネラネットワーク医学創成プログラム」が採用

20102010年頃

マラリアワクチン開発
堀井 俊宏(ほりい としひろ)

米国留学時にマラリアワクチンの抗原となり得るSERA-35に出会う。現在南アフリカ・ブルキナファソにおいて治験を進行中。

文部科学省共同利用・共同研究拠点として活動開始

2015

BIKEN次世代ワクチン協働研究所の設置

  • 微研ミュージアム これまでの成果・資料を常設展示
  • 研究成果 微研での基礎研究の成果について