病気のバイオサイエンス

大阪大学 微生物病研究所

last up date : 08 July 2004

生殖細胞のがんーテラトーマ

野崎 正美 ( Masami NOZAKI )

生殖細胞グループ

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1. はじめに

 私たちの体は体細胞と生殖細胞から出来ている。体細胞は体そのものを作り、生殖細胞は体を作るための設計図であるゲノム情報を次の世代へ運ぶ運び屋だ。体細胞からできている体は老化して寿命が来ればいずれ死んでしまうが、生殖細胞は世代を越えて生き続ける。従って、体細胞は体を作り、維持する材料として大事であり、生殖細胞はヒトという種の保存に大事であると言える。

 体細胞に変調をきたすと、病気になり私たちの生活に支障をきたす。一方、生殖細胞が病気になり、もし無くなったとしても生活には困らないが、子供はできない。これはいわゆる不妊症と呼ばれる病気の一因となる。ちなみに日本を含む先進諸国では夫婦の10組に1組以上は不妊で子供ができない。また、生殖細胞の持つ体作りの設計図であるゲノムに傷が付くと自分は困らないが、子供や孫に影響がでるかもしれない。しかし、無くなっても体の維持には影響しない生殖細胞ではあるが、逆に突然、無秩序に増殖し始めると癌として体に影響を及ぼす。生殖細胞由来の癌は体細胞由来の癌と、著しい違いがあり、特にテラトーマと呼んでいる。

 テラトーマ(teratoma)はteras(化け物)とoma(腫瘍)からなる言葉で、日本語では奇形腫と呼ばれている。通常の癌が比較的単純な細胞の塊であるのに対し、テラトーマはその内容が見るからに変わっている。一番驚くのはおそらく歯や毛髪が見られることであろう。つまり、ヒトの体をばらばらに詰め込んだかのような様相を示す。手塚治虫の「ブラックジャック」に登場するピノコは畸形嚢種の中身を組み合わせて人工の皮膚で覆って、再生したと描かれているが、これもここで言うテラトーマなのかもしれない。しかも女性の体から取り出されたことを考えると、卵巣性テラトーマだろうか。その名の示す通り、化け物のような腫瘍はどのようにしてできるのだろうか。出来た腫瘍が精巣や卵巣で多く見られること。腫瘍の中身が体のほとんどの組織を含むこと。その2点から、どうも生殖細胞あるいは体のもとであった胚そのものに異常が生じた結果、できたのではないかと想像されていた。特に体の中にもう一人別の体が存在するように見えることから、双子の片割れが一方の体に取り込まれたという説も根強い。しかしどのような病気も同じだが、偶然、臨床的に見られた結果をもとにその原因を知ることは極めて困難であった。その謎が説けたのは、実験動物であるマウスで、精巣に高頻度でテラトーマができる系統が発見され、その後卵巣でも同様に高頻度でテラトーマができる系統が発見されたことによる。ここでは生殖細胞の病気で、体全体に影響がでる珍しい例について、その出来方と研究の意外な展開について紹介することにしよう。

2. テラトーマ高発系マウス

 1954年、アメリカジャクソン研究所のStevensは129と呼ばれるマウス系統の精巣にテラトーマ(精巣性テラトーマ)が高頻度で発症することを報告した (Stevens and Little 1954)。高頻度といってもわずか1%であったが、ほかの系統では、せいぜい千匹から1万匹に1匹しか見られないことからすれば、かなり高い発症率と言える。Stevensはその後、129/Svと名付けられたマウス系統を様々な系統のマウスと交配することによりさらに高頻度で精巣性テラトーマを発症する系統を開発し、この奇妙な腫瘍が実は胎児期の生殖細胞が起源であるということを、明らかにした。


2.1 生殖細胞 (参考文献Rugh 1968)

 有性生殖をする生き物の体は皆、一個の受精卵が細胞分裂と細胞分化を繰り返すことによってできあがる。マウスをはじめとする哺乳動物は発生が子宮内で進むために、それ以外の生き物にはない特徴を持つ。つまり、発生初期に初めて起こる細胞分化によって胚発生をサポートするためだけの胚体外細胞ができ、胚そのものを作る分化全能性細胞と別れる。胚体外細胞はその後、胎盤などになって、胚の子宮内での成長を助ける。一方、分化全能性細胞からはすべての体細胞と生殖細胞が分化する。分化全能性細胞から体細胞が分化する過程には順番があり、初めに外胚葉、内胚葉、中胚葉からなる三胚葉と呼ばれるおおざっぱな枠組みができてから、それぞれがさらに分化していく。外胚葉からは主に体の外側に位置する皮膚や神経系など、内胚葉からは消化管内壁や肺など、中胚葉からは筋肉や骨や血球などが分化する。もちろん、一個の臓器を見ると、特定の胚葉だけからできるものはなく、それぞれが入り組み、相互に影響しあいながらできあがる。生殖細胞は三胚葉出現に先立って胚体の後端に生じる。この時の生殖細胞はまだ卵でも精子でもない未分化な状態で、始原生殖細胞(Primordial Germ Cell; PGC)と呼ばれるが、生殖腺から遠く隔たった場所でできるため、胚体形成とともに体の正中線に沿って将来の生殖腺である生殖隆起に向かって移動する。生殖隆起にPGCが入った後、性分化が起こり、雄では精巣へ、雌では卵巣へと分化する。おもしろいことに、性は受精した時から遺伝的に決まっているのに、PGCが生殖隆起にたどりつき、生殖腺分化が起こるまでは、その胚体が雄か雌かは形態的に判別できない。


2.2 精巣性テラトーマ

 129/Sv系統マウスでは、将来精巣になる雄の生殖隆起に到着したPGCはいったん細胞分裂して細胞数を増やして静かになる。ところがごくまれに増殖し続ける生殖細胞があり、これがその後、腫瘍化する。また、テラトーマ発症以前の雄の生殖隆起を胚から取り出し、成体精巣内に移植すると、さらに高頻度でテラトーマの発症が見られる。この場合は環境の変化により増殖し続ける生殖細胞数が増えるのかもしれない。このような精巣性テラトーマの高頻度の発症はあくまでも129/Sv系統マウスという遺伝的に特殊な場合に限られる。この事実はテラトーマ発症にはある特定の遺伝子の異常が関係することを示している。

 いずれにしても正常では雄の生殖腺に入ったPGCは一度増えるが、すぐに細胞分裂を止める。しかし、何らかの異常が起こると、増殖し続ける生殖細胞が現れる。雄の生殖細胞は本来精子に分化し、精子は卵と受精することで、新しい生命を誕生させる。従って、将来精子になる生殖細胞自身にも胚発生の能力が備わっていてもおかしくはない。そのためか、増殖を止めることのできなかった精巣内PGCはそのままの状態で増殖するのではなく、あたかも正常の分化全能性を持った胚のような状態(胚様細胞)で増殖する。もともと生殖細胞とは言え、精子にもならず、受精もしなかった細胞が何らかの遺伝的要因によって胚様細胞になる様は驚きである。精巣内に生まれた胚様体はその後さらに細胞分裂と分化を繰り返し、三胚葉を生み出して、その後、様々な体細胞へと分化して、最後に精巣性テラトーマになる。結局精巣性テラトーマは胎児期の精巣内で異常増殖を始めた生殖細胞に由来することになり、生後、比較的若い時に精巣の異常として認識される。


2.3 卵巣性テラトーマ

 雌の場合は、卵巣に生殖細胞が存在しているため、卵巣性テラトーマもある頻度で発症する。ところが性分化以後の生殖腺内生殖細胞の挙動は、雌雄で大きく異なるので、精巣性テラトーマの出来方と比べると卵巣性テラトーマの出来方はずいぶん違うことがやはりStevensにより明らかにされた。

 1974年、Stevensは、今度は卵巣性テラトーマを高頻度で発症するLT/Sv系統マウスの報告を行った (Stevens and Varnum 1974)。LT/Sv系統の雌マウスは生後3ヶ月で半数が卵巣性テラトーマを持つ。129/Sv系統雄マウスの1%が精巣性テラトーマを持つのと比較すると圧倒的に高い頻度である。この系統を用いた解析により、卵巣性テラトーマ発症の様子が詳しく分かった。

 雌では、PGCは生殖隆起に到達した後、すぐに減数分裂を始めるため、卵巣内の生殖細胞は通常の細胞分裂を行わない。従って、精巣性テラトーマ発症時のような生殖細胞の異常増殖は胎児期の卵巣内では見られない。減数分裂を始めた卵母細胞はDNA複製を終え、第一減数分裂前期で一度、減数分裂を停止して、その状態で誕生を迎える。従って、生まれてきたマウスの卵巣内には第一減数分裂前期を終えた卵母細胞が多数(1万個以上)存在する。生殖細胞は単独で行動するのは生殖隆起に移動しているPGCの段階だけで、生殖腺内では常に生殖細胞を育てるための特殊な体細胞に囲まれている。卵母細胞の場合、周りを顆粒膜細胞と呼ばれる体細胞で覆われ、濾胞(卵胞)を形成している。生後しばらくすると、下垂体ホルモンの一種である濾胞刺激ホルモン(FSH)の影響によって顆粒膜細胞は増殖を初め、それとともに卵母細胞も成熟期に入り大きくなる。ホルモン刺激による濾胞の成熟は3、4日に一度のサイクルで行われ、その都度、限られた数だけ周期的に成熟に向かう。成熟しきった卵母細胞は、今度は別の下垂体ホルモンである黄体形成ホルモン(LH)の刺激によって卵巣から排卵される。排卵と同時に卵の減数分裂が再開し、第二減数分裂中期で再度停止した状態で受精を待つ。つまり卵は減数分裂を始めてから、受精によってそれが完了するまでに二度停止することになる。マウスではFSHの刺激で成熟に向かう卵母細胞の数はかなり多いが、結果的にせいぜい数個しか排卵されない。従って、成熟を始めたが、排卵されなかった卵はどうなるかというと、成熟途中で死んでしまう。これを濾胞閉鎖と呼び、何らかの不都合を持つ卵は排除して、選りすぐりの完璧な卵だけを使って、次世代の個体を作るためのメカニズムと理解されている。

 繰り返しになるが、生まれたばかりの雌マウスの卵巣内には1万を越える数の卵母細胞があり、減数分裂を一時停止した状態でストックされている。生後、性成熟に達した雌マウスでは、これらの卵母細胞は3、4日に一度、ホルモンの刺激で成熟し最終的に5個くらいが排卵される。ということは寿命を2年とすると、千個あまりの卵しか排卵されないことになる。それ以外の卵母細胞は結局、濾胞閉鎖を起こし死んでしまう。卵母細胞の成熟はまわりの顆粒膜細胞によって支えられている。成熟中の卵母細胞は第一減数分裂前期を終えた状態で停止したままだが、これも顆粒膜細胞の制御による。従って、濾胞閉鎖の過程で顆粒膜細胞の状態が悪くなると中の卵母細胞は抑制から解除され、減数分裂を再開するけれども、排卵に至らず死んでしまう。一方、LT/Sv系統マウス卵巣では、この濾胞閉鎖に伴い減数分裂を再開した卵母細胞の一部はそのまま死ぬことなく、受精を経ないで、胚発生を始める。普通に成熟して、排卵された卵は細胞内に初期発生に必要な材料をすべて貯蔵しており、受精刺激によって発生を開始するが、LT/Sv系統の卵巣内で減数分裂を再開してしまった場合は排卵も受精もしていないのに、卵巣内で発生を始めてしまう。受精をせずに卵だけで勝手に発生することを単為発生と呼んでいて、これもLT/Svという特殊な系統のマウスで高い頻度で起こることから、特定の遺伝子の異常が原因と思われる。卵巣内で単為発生を始めた異常な胚は、その後あたかも子宮上皮に着床するように周りの体細胞に接着して、分化全能性細胞様になる。LT/Sv系統マウスは卵巣に異常を持つが、正常な卵成熟も行う。従って卵巣内に単為発生胚を持ちながら、排卵もする。排卵後の濾胞の顆粒膜細胞は黄体を形成し、黄体ホルモンを分泌して、受精卵のその後の子宮への着床すなわち妊娠成立を助ける。この黄体形成は実は卵巣内単為発生胚のその後の成長にも重要で、まわりの環境に適応した単為発生胚はその後、精巣性テラトーマ発症と同じく、三胚様に分化して、無秩序な細胞分化を行い、卵巣性テラトーマになる。精巣性テラトーマは胎児の時期にその起源があったが、卵巣性テラトーマの場合、性成熟に達して性腺刺激ホルモンの影響下で発症するために、発症時期は比較的遅いことになる。


2.4 その他のテラトーマ

 テラトーマ高発系マウスは雌雄ともに生殖腺内の生殖細胞を起源とするので、それ以外の場所にテラトーマを作ることはない。一方、臨床的には、半数以上は生殖腺において発症するものの、他の発症部位も見られ、それらは頭蓋内、頚部、縦隔、後腹膜から仙尾部まで体中に存在している。しかしほとんどの場合、発症部位は体軸の正中つまり体の中心線上に集中している。生殖細胞(2. 1)の所で説明した通り、PGCは発生初期に胚の後端部すなわち、生殖腺以外の場所に現れ、細胞分裂しながら体の内部、しかも中心線上を生殖隆起に向かって移動する。正確に目的地に到達するために、決まったルートがあり、さらに生殖隆起からの未知の物質をたよりに移動すると考えられているが、必ずしも100%正確にたどり着いているわけではない。中には全然動かないものもいるらしい。目的地に到達出来なかったPGCはその後死んでしまうが、中にはそのまま関係のない場所に迷い込んで、増殖を続け一部はテラトーマになってしまうのかもしれない。これらの中で、特にお尻の先にできる仙尾部奇形腫は多くが出生時に見られることから、発生の早期に増殖を始め、胎児期に腫瘍として成長していることがわかる。

3. EC細胞

 テラトーマは、その起源がいずれであれ、腫瘍として成長した段階で胚様細胞を含むか含まないかで二種類に分類される。後者は全体が分化しきった組織の集まりで、それ以上成長することがほとんどなく、良性腫瘍である。前者にはテラトーマの元となった、胚様細胞とよく似た細胞が残っており、これは活発に細胞分裂するので、全体が大きくなる。この場合は悪性でありテラトカルシノーマと呼ばれる。テラトカルシノーマの持つ胚様細胞は、多分化能を保持したまま増殖する幹細胞であり、癌細胞でもあるので、胚性癌腫細胞(Embryonal carcinoma cell; EC 細胞)と呼ばれる。

 テラトカルシノーマは悪性なので、その場で増殖し続けるばかりでなく、転移して、その個体を死に至らしめることもある。マウスの場合、テラトカルシノーマを他の個体に移植することが可能であり、それによって細胞は増殖し続ける。個体が死ぬ前に、別の個体に移植する操作を繰り返すことによって、テラトカルシノーマを長期に渡って継代し続けることができる。このようにして確立された体内培養テラトカルシノーマ系統を今度はシャーレ上で体外培養を行い、EC細胞株が樹立される。EC細胞の重要な点は癌細胞ではあるが、未分化で分化全能性を持つ胚細胞に似ていることである。これらのEC細胞株は未分化状態のままシャーレ上で維持することができ、さらに特定の薬剤添加等により、様々な細胞に分化誘導することができる。さらに、正常初期胚にくっつけて培養すると、胚に取り込まれて、混然となったまま一緒に発生し、最後には正常胚とEC細胞のまざった個体が生まれる。例えば黒いマウスから得た正常胚と白いマウスから得たEC細胞を混ぜると白黒まだらのマウスが出来る。このような異なった個体由来の胚どうしを混ぜてできたマウスをキメラマウスと呼ぶ。キメラというのはギリシャ神話に登場する頭はライオン、体はヤギ、尾はヘビの怪物のことである。テラトーマといいキメラといい、名前だけ聞くと何とも恐ろしい。EC細胞の持つこのような性質を利用し、母体内で発生するので、難しかった哺乳動物初期発生研究の道が拓かれた。

4. 人為的テラトーマ誘発からES細胞へ

 精巣性テラトーマは生殖隆起に到達したPGCの異常増殖に起因するが、一度分化全能性胚細胞様形態を経由している。卵巣性テラトーマは卵巣内の単為発生に起因するが、これも同様に分化全能性胚細胞様形態を経由する。これらの観察から、正常発生胚も子宮以外の場所に移植されると、テラトーマになることが予想される。実際、正常胚を色々な場所に移植した結果、テラトーマが高率で誘発できた。子宮以外の場所への正常胚移植によって生じたテラトーマにはもちろんテラトカルシノーマも含まれる。そこでこれらの細胞をバラバラにしてシャーレの上で飼うことでEC細胞株が樹立された。この場合、正常胚から一度テラトカルシノーマを作り、さらにテラトカルシノーマからEC細胞を分離したことになる。EC細胞は初期胚と似ているとは言え、あくまでももとは癌細胞だ。それでは、カルシノーマを経由しないEC細胞は得られないのだろうか。

 マウスは受精してから19日で生まれる。最初の4日は母体との直接の接触を持たず、輸卵管から子宮へと移動していく。その間に卵割をして細胞数を増やすとともに最初の分化をして、胚盤胞を形成する。胚盤胞はゴムボールの様な中空構造をしていて、内壁の一カ所ににゴムボールのへそのように、小さな細胞の塊を持つ。まわりの皮の部分は将来の胎盤形成に重要な栄養外胚葉で、その内壁にある小さな細胞の塊は分化全能性を持ち、内部細胞塊と呼ばれる。胚盤胞を子宮から取り出しシャーレ上で培養すると、栄養外胚葉は平たい細胞として周りに広がり、内部細胞塊は塊のまま増え続ける。そして内部細胞塊の部分だけをさらに培養し続けると、細胞株が樹立される。この細胞株は未分化な分化全能性を持った胚細胞に性質が似ていて、引き続き培養し続けることが出来るし、移植によってテラトーマ形成を行うこともできる。さらに正常胚とともにキメラマウスを形成できる。この分化全能性を有した、未分化状態のまま培養できる細胞を胚性幹細胞(Embryonic Stem Cell; ES 細胞)と呼ぶ。

 ES細胞を正常胚盤胞内に注入して、内部細胞塊にくっつけた後、成長させるとキメラマウスができる。ES細胞は分化全能性を持つので、正常胚と混ざって体中の細胞に分化する。この時、生殖細胞にも分化する。使ったES細胞が雄で正常胚が雄だった場合、ES細胞は精巣の体細胞にもなるし、精子にもなる。このような雄のキメラマウスを正常雌マウスと交配することによって生まれる子供にはES細胞由来の雄も雌もいるので、これらを交配させると完全にES細胞由来の細胞だけからなる個体ができる。そこで、ES細胞を胚盤胞に注入する前にES細胞の特定の遺伝子に人工的に手を加えておくと、遺伝子改変マウスを得ることができる。このようにしてノックアウトマウスが作製された。ノックアウトマウスは目的の遺伝子が機能しないようにしたマウス個体であるから、その遺伝子の働きを調べることが可能である。最近、ヒトゲノムプロジェクトによってヒトの持つ全ての遺伝子が明らかにされた。同様にマウスでもほとんどの遺伝子が明らかにされている。どちらも同じ哺乳動物であるために、細かい点は異なっていても、共通するところが多い。そこで、ヒトの遺伝子機能の解析がマウスを用いて行われている。またヒトの病気のモデルとなるマウスも人為的に作られ、病気の発症のメカニズム究明や治療法開発のために利用されている。そのための重要な手段の一つがノックアウトマウスの作製とその解析である。

5. おわりに

 今ではあたりまえのように利用されているノックアウトマウスの作出には遺伝子組換え技術だけでなく、ES細胞の樹立が必須である。また、再生医療の花形として、ES細胞への期待は大きい。しかしES細胞の樹立も偶然できたわけではない。実は、始めは、世にも奇妙な癌として見つかったテラトーマ研究の長い歴史を基礎としている。50年以上の歴史を持つマウステラトーマ研究の成果が、今ポストゲノム研究あるいは先端医療技術の大事な礎になっていることは、基礎研究の予想外の展開を示す非常に面白い一例と言えるだろう。

参考文献
  1. Rugh, R. Ed. The Mouse-Its reproduction and development (Oxford Science Publications, Oxford, 1968)
  2. Stevens, L. C. and Little, C. C. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 40, 1080-1087, 1954
  3. Stevens, L. C. and Varnum, D. S. Dev. Biol. 37, 369-380, 1974
  4. 野口武彦、村松喬監修、マウスのテラトーマ。EC細胞による哺乳動物の実験発生学(理工学社 1987)
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プロフィール

野崎 正美 ( Masami NOZAKI )

生殖細胞グループ・准教授


E-Mail mnozaki@biken.osaka-u.ac.jp


1986年大阪大学大学院医学研究科生理系修了(医学博士)
同年大阪大学微生物病研究所細菌ウイルス学分野助手
1999年現職

趣味 : 車の運転。レガシイ所有。散歩。マウスエンブリオをいじること。


Key Word : テラトーマ、生殖細胞、初期発生、ゲノム、エピジェネティクス