病気のバイオサイエンス

大阪大学 微生物病研究所

last up date : 23 July 2004

がん遺伝子とシグナル伝達

岡田 雅人 ( Masato OKADA )

発癌制御研究分野

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1. はじめに

 「がん」は遺伝子の病気である。環境因子など様々な原因で引き起こされる遺伝子の異常によって、たった一個の細胞がかってに増殖し始めたところから「がん」が誕生する。ただ、健康な生体には日常的に起きる遺伝子の異常を修復したり排除する仕組みがちゃんと用意されているため、元々ひ弱な「がん」が生き延びて新たな生き物として成長することはむしろ稀なことである。ところが、さらに新たな遺伝子に異常が起こったり、異常が生じた遺伝子の種類によっては、それらが新たな生き物の生存や増殖に対して有利に働くことがある。そんな場合には、その生き物は生体内での厳しい淘汰に耐えて活発な生命活動を始めることになる。その結果さらに遺伝子の異常を受け入れやすい体質となって、種の保存に向けて邁進するかのように生存領域を拡大し、最終的には宿った個体とともに壮絶な自壊を遂げる。こんな偶然の積み重ねの産物にすぎない新たな生き物「がん」はきわめて多様な遺伝子の変異に由来し、また基本的に一個の細胞から誕生する「がん細胞」はきわめて個性的である。こうした「がん」の厄介な性質のために、それを撲滅する決定的な方法の開発は依然として難しい状況にある。しかしながら、「がん」発生の仕組みに関しては、「がん原遺伝子」や「がん抑制遺伝子」の研究によってその全容がほぼ明らかになりつつある。本稿では、多種多様のがん関連遺伝子の中から、私たちが研究を続けている「src遺伝子」を題材にして、「がん原遺伝子」の本来のはたらきとその異常による「がん」の発生や悪性化の仕組みについて解説してみたい。

2. 「がん原遺伝子」と「がん抑制遺伝子」

 まず、「がん」発生のおおまかな仕組みを概観しておこう(図1)(5)。1969年に、「がん」が遺伝子によって支配されていることが初めて証明され(18)、それを引き金として「がん」を発生する遺伝子「がん遺伝子」が発がん性ウイルスやヒトのがん細胞などから続々と発見されてきた(4)。また、ほとんどの「がん遺伝子」が「がん」ならではのものではなくて、元々正常細胞にある正常遺伝子「がん原遺伝子」が変異したものであることが明らかになって(2)、現在の「がんは遺伝子の病気」という基本的な考え方が固められてきた。「がん原遺伝子」と呼ばれる遺伝子はさらに続々と同定されて、それらの産生する蛋白質の正常細胞でのはたらきも明らかになってきている。それらの膨大な成果を整理して並べてみると、「がん原遺伝子」の産生する蛋白質は、細胞の増殖や分化の調節に係わる「細胞内シグナル伝達経路」(図2)で重要な役割を担うものばかりであることが分かってきた。ある遺伝子は増殖因子そのものであり(sis)、またあるものは増殖因子の受容体であったり(ErbB)、さらに細胞内で産生されるシグナルのスイッチ役であったりする(ras)。こうした「がん原遺伝子」の異常によって、産生される蛋白質のはたらきが異常に強くなったり、あるいはスイッチが切れなくなってしまうと、細胞増殖に歯止めが掛からなくなったり分化していられなくなって細胞が「がん化」の道を歩み出すことになる。

 一方で、がん細胞と正常細胞を融合させた細胞が正常細胞の性質となることを示した実験や(7)、遺伝性のがんの研究などから(11)、がん化を抑制する遺伝子「がん抑制遺伝子」の存在が明らかになってきた。その後の研究により、「がん抑制遺伝子」の主なもの(p53やRb)は、細胞周期の調節で重要なはたらきをする細胞増殖のブレーキ役であることが分かってきた(図3)。遺伝子異常によってそれらの機能が失われると、DNAに傷を負った細胞が、その修復を待ちきれずに増殖してしまうことで遺伝子の変異が残ってしまったり、あるいは、積極的な細胞死(アポトーシス)によって排除されなくなってしまうことによって「がん」が進行すると考えられている。こうしたことから、「がん」が主に「がん原遺伝子」と「がん抑制遺伝子」の変異の蓄積によって生まれる新たな生き物である、と現在では理解されている。


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図1 大腸がんの多段階は発がんモデル

 「がん抑制遺伝子」(APCやp53)および「がん遺伝子」(rasなど)の遺伝子変異が多段階的に起こることによって「がん」が進行することがヒト大腸がんで観察されている。一個の細胞に起こった遺伝子異常から「がん」が誕生し、その後遺伝子異常の積み重ねにより「がん」が悪性化して最終的に浸潤転移能を獲得する。「がん」の生じる組織によっては、異常が起こる遺伝子の種類、順番など様々であり、場合によっては一つの遺伝子異常で転移能まで獲得されることもある。


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図2 「がん原遺伝子」の産生する蛋白質はシグナル伝達の鍵を握る

 「がん原遺伝子」として同定された遺伝子の蛋白質産物は、細胞増殖を制御するシグナル伝達経路の重要な段階で機能する。それらの異常によって増殖シグナルが異常に伝わることが、がん化の引き金となると考えられている。SISはPDGF(血小板由来増殖因子)そのもであり、ErbBはEGF(上皮細胞増殖因子)の受容体の一部(チロシンキナーゼ)である。GTP結合蛋白質Rasは、チロシンキナーゼシグナルを新たなシグナルに変換する重要なスイッチとして機能する。Srcは本稿で詳しく解説する細胞質型チロシンキナーゼである。Rafは、Rasのシグナルをリン酸化酵素カスケード(MAPキナーゼ経路)に渡す蛋白質リン酸化酵素である。Jun とFosは、直接遺伝子発現を調節する核内転写調節因子である。


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図3 代表的ながん抑制遺伝子p53の機能

 p53蛋白質は、DNA損傷などの細胞ストレスによって活性化し、直接DNAに結合する転写因子として機能して様々な遺伝子の発現を誘導する。その主要な標的であるp21という蛋白質は、細胞周期の進行に必須の役割を担うリン酸化酵素(cdk)を強く阻害する活性を持っていて、その発現誘導によって細胞周期を停止させることができる。正常細胞では、その間に損傷を受けたDNAの修復が行われて遺伝子の変異は残らないが、p53の機能が欠けた場合には、細胞周期が止まらなくなるため、遺伝子変異が蓄積することになりがん化の頻度が増大することになる。また、細胞死(アポトーシス)を誘導する遺伝子(ミトコンドリアのBAX蛋白質など)の発現も活性化することにより、障害を受けた細胞を選択的に排除する機能も持っている。

3. srcがん遺伝子(v-src)とsrcがん原遺伝子(c-src)

 私たちは、「がん」の発生や進行と「がん原遺伝子」との関係を分子の言葉で説明することを目標にして研究を進めている。その研究対象として、多細胞動物の最も基本的な性質である細胞同士の情報交換や細胞運動の調節で重要なはらたきを担うと考えられているがん原遺伝子「src(サーク)」に注目して、まずその正常細胞でのはたらきの全容を徹底的に解明しようとしている。srcがん遺伝子は、ニワトリにがんを作るラウス肉腫ウイルスから見出された世界最初のがん遺伝子である(肉腫sarcomaからsrcと命名された)(図4)(8)。また、srcがん遺伝子は、蛋白質のチロシン残基を特異的にリン酸化する動物特有の酵素(チロシンキナーゼ)を産生することが分かった最初の遺伝子でもある。チロシンキナーゼ活性は、その後他の多くのがん遺伝子の蛋白質産物や増殖因子の受容体にも続々と見つかってきて、細胞増殖に係わるシグナル伝達で重要な役割を担う酵素活性であることがまず明らかにされた。また、v-Srcなどのように細胞外に増殖因子などと結合する部分を持たないチロシンキナーゼは「非受容体型」、増殖因子などの受容体の細胞内部分にあるチロシンキナーゼは「受容体型」と分類されている。

 当初ウイルスに見出されたsrcがん遺伝子(virus由来なのでv-srcと略される)も、元々は正常の動物細胞に存在する相同のsrcがん原遺伝子(cell由来なのでc-src)に由来し、ウイルスがゲノムに組み込む過程で複数の遺伝子変異が入ってしまったものである。そのためv-src遺伝子が作るv-Src蛋白質は、正常型のc-Src蛋白質とは質的にかなり異なったものとなっている。c-Srcは、カルボキシ(C)末端近くにチロシン残基が存在し、通常の細胞内ではその残基がリン酸化された不活性型で存在する(そのメカニズムは次節で説明)。一方v-Srcには、C末端がウイルス遺伝子の配列と置き換わっていてC末端のチロシン残基が存在しない。また、いくつかの点変異も影響することによって、v-Srcは非常に強いチロシンキナーゼ活性を発揮できるようになっている。その結果、v-Srcは感染した細胞内の種々の蛋白質を猛烈な勢いでリン酸化し、ニワトリや培養細胞などではv-srcだけでちゃんとした「がん化」(形質転換)を起こしてしまう。この点でv-srcは、きわめて活性の強い「がん遺伝子」とされている。ヒトの「がん」では幸いにも、v-srcを持つウイルスが直接がんの発症原因となっているケースは今のところないようである。しかし、第6節で述べる様に、多くのがんの悪性化、特に浸潤転移に「c-srcがん原遺伝子」が大きく係わっていることが明らかとなっている(3)。そこで次節ではまず、c-src遺伝子のはたらきをもう少し詳しく見てみよう。


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図4 v-Src蛋白質とc-Src蛋白質

 ラウス肉腫ウイルスゲノム(RNAゲノム)の「v-srcがん遺伝子」にコードされるv-Src 蛋白質と、ニワトリゲノムの「c-srcがん原遺伝子」から産生されるc-Src蛋白質の特徴を簡単に比較した。v-Src蛋白質には点変異や組み換えによる変異が含まれることによって、チロシンキナーゼとしての活性が異常に強くなっている。特に、c-Srcに存在するC末端近くのチロシン(Y527)を含む配列が置換されているために、そのリン酸化を介する活性制御が受けられない。その結果、常に活性化して自己リン酸化部位(Y416)をリン酸化している。

4. c-Src蛋白質の特徴

 図5Aにc-Src蛋白質の構造上の特徴を示した(17)。c-Srcはアミノ末端にミリスチン酸という脂肪酸が結合していて、これを介して細胞膜にぶら下がるようにして存在している。その下流にSrc homology 3(SH3)およびSrc homology 3(SH2)と呼ばれる機能ドメインが存在する。それぞれ、プロリンを多く含んだアミノ酸配列およびリン酸化されたチロシン残基を含むアミノ配列を認識して、蛋白質間の相互作用を担うはたらきを持っている。それらに続いてチロシンキナーゼ活性を担うキナーゼドメインが存在する。キナーゼドメインの中には、活性化した時に自分自身でリン酸化(自己リン酸化)するチロシン残基(Y416)が存在する。そして、C末端近くに先に紹介した活性調節に係わるチロシン残基(Y527)を含む領域がある。休止期の細胞内では、c-SrcはY527の大部分がリン酸化され、それが自分自身のSH2ドメインと結合することによって活性の低いコンパクトな構造をとっていることが結晶構造解析により明らかになっている(図5B)(19, 20)。そのY527が脱リン酸化されると、分子内の結合が外れてフレキシブルな活性の強い構造に変化し、その結果フリーになったSH2やSH3ドメインにさらに他の蛋白質が結合して機能が発揮されると考えられている。このように、チロシンのリン酸化や分子内外の蛋白質同士の結合による構造変化によって、活性や機能が巧妙に調節出来るようになっていることから、c-Srcは「分子スイッチ」とも呼ばれている。

 c-SrcのY527のリン酸化は、わざわざC-termina Src Kinase(Csk)という別のチロシンキナーゼを使って行われることが明らかとなっている(図6)(13, 14)。一方の脱リン酸化は、ある種のチロシンホスファターゼ(PTPと総称)が触媒するとされているが、どのPTPが特異的なのかはまだはっきりしていない。いずれにしても、通常の細胞内ではCskとPTPの活性のバランスによってc-Srcが不活性型と活性化型(機能発現の準備状態ということでプライミング状態とも呼ばれる)の動的平衡状態にあると考えられている。休止期の繊維芽細胞ではその平衡が不活性型に大きく傾き、刺激に敏感な免疫系細胞では活性化型に傾いているようである。そして細胞が細胞外からの刺激を受け取った時に初めて、プライミング状態のc-Srcが受容体など共同して細胞内にチロシンリン酸化シグナルを産生すると考えられている(図5)。したがって、CskとPTPのバランスによって、c-Srcの基本的な反応性がまず決定され、それによって細胞自体の応答性も決定付けられることになる。また、細胞外からの刺激による細胞応答は、一般的に一過性の反応で速やかに終結されなければならない。その作用終結反応にもCskによるc-Srcのリン酸化が重要であることが示唆されている。少し話が細かくなるが、そのメカニズムにも少しだけ立ち入ってみたい。

 CskもSH2とSH3ドメインを持つ点でc-Srcとよく似た非受容体型チロシンキナーゼであるが、N末端に脂肪酸が付かないため主に細胞質に存在する。ところが、c-Srcが活性化するとCskの一部がc-Srcのある細胞膜に集まってくることが観察され、c-Srcによる細胞応答の終結反応にはCskが積極的に動くことが示唆されていた。近年Cskの結晶構造解析に成功しその構造を眺めてみると、CskではSH2やSH3ドメインがむき出しになっていて、それらが他の分子と結合することによってCskの機能を調節出来ることが分かってきた。さらに最近、そのむき出しのSH2ドメインに結合する分子としてリン酸化膜蛋白質(Cbp/PAGおよびCTRAP/LIME)が同定されてきた(10)。それらの新たな膜蛋白質は、c-Srcあるいはその仲間によってリン酸化されるとCskを結合し、またその結合によってCskの酵素活性自体が強くなることが明らかになっている。これらのことから、細胞外からの刺激に応じて活性化したc-Srcが、リン酸化したCbpなどを介してCskを膜に引き寄せて(リクルートする云う)、その結果効率良く作用終結が行われるというネガティブフィードバック機構が提唱されている(図7)

 これまでc-Srcについて紹介してきたが、ほ乳類などの高等動物にはc-Srcと構造の良く似た仲間が存在して比較的大きな遺伝子ファミリー(Srcファミリー;SFKと総称)が形成されている(17)。高等動物でのファミリーメンバー(c-Src、Fyn、c-Yes、Yrk、c-Fgr、Lck、Lyn、Blk、Hck)は、いずれもc-Srcと同様なドメイン構造を持ち同様なC末端チロシンのリン酸化を介する活性調節を受ける。これらの中のいくつかも、c-Srcと同じようにウイルスの運ぶ「がん遺伝子」として見い出されてきたものである。生体内では、これらのSFKメンバーは発現する細胞や時期を棲み分けていて、原則としてそれぞれ特徴的な機能を発揮するとされているが、よく似た点が多いため、組み合わせによってはメンバー間で機能を補い合うことも出来る。また、Cskがc-SrcだけでなくSrcファミリーの全てのメンバーのC末端チロシンをリン酸化することも分かっていて、CskはSFKの共通した制御因子とされている。実際Csk遺伝子をノックアウトしたマウスでは、SFKが一斉に活性化してしまってその結果正常な発生が出来なくなることから(14)、SFKがちゃんと機能するためにはCskによる活性調節が必須であることが証明されている(図12A)


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図5 c-Src蛋白質の構造的特徴

 A)c-Src蛋白質の一構造上の特徴は、1)脂肪酸を介して膜にぶら下がっていること、2)プロリンに富む配列(-P-P-X-P-)と結合するSrc homology 3(SH3)ドメインを持つこと、3)リン酸化チロシンを含む配列(-pY-E-E-I-)と結合するSH2ドメインを持つこと、4)活性化にともなって自己リン酸化部位(Y416)がリン酸化されること、5)C末端チロシン(Y527)のリン酸化によって活性抑制を受けることにある。これらの特徴は、このあと触れるc-Srcの仲間たち(Srcファミリー;SFK)にも共有され、逆に、これらの特徴を持つものがSFKと定義されている。

 B)不活性型c-Srcの結晶構造モデル。リン酸化されたC末端チロシン(Y527)が分子内のSH2ドメインと結合し、またSH2ドメインとキナーゼドメインとの間の配列(SH2-kinase linker)がSH3ドメインと結合している。これらの分子内結合によりキナーゼドメインが不活性型の立体構造をとっている。


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図6 c-Srcの活性調節機構

 通常の細胞内では、c-SrcがY527がリン酸化された不活性型と脱リン酸化された活性化型(プライミング状態)の平衡状態にある。この平衡は、Y527をリン酸化するCsk(C-terminal Src Kinase)と脱リン酸化するチロシンホスファターゼ(PTP)のバランスによって決定される。外から刺激が入った時に活性化型が受容体などと相互作用し基質蛋白質をリン酸化して細胞応答を引き出すと考えられている。機能した蛋白質は、Cskによって再びリン酸化を受けて不活性化されるか、ユビキチン化を介する蛋白質分解経路をたどり細胞応答が終結する。


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図7 Cskの機能調節機構

 細胞外刺激に反応して活性化したc-Srcは、機能発現と同時に膜蛋白質(Cbp/PAGおよびLIME/CTRAP)などをリン酸化する。そのリン酸化部位にCskがSH2ドメインを介して特異的に結合して膜にリクルートされ、またその結合によってCskに構造変化がおこり酵素活性が上昇する。それらの結果、c-SrcのC末端チロシンを効率よくリン酸化してc-Srcを不活性型に戻して細胞応答を終結するというネガティブフィードバック機構が提唱されている。


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図12 ヒト大腸がん細胞のEMTをCskでコントロール

 図11で示したEMTのメカニズムを解明するために、ヒト大腸がん細胞(HCT15とHT29)にアデノウイルスベクターを用いてCsk遺伝子を導入してその効果を観察した。活性のあるCsk(Csk K+)を導入してSFK活性の平衡を不活性型に傾けると、細胞と基質の接着が弱くなってE-カドへリンを介する細胞間の接着が優位となり上皮系様の性質となる。逆に、活性のないCsk(Csk K-)を導入してSFKを活性化型に傾けると、基質との結合が強くなって細胞が自由に運動するようになる。?いずれの場合にもFAKやPaxillinなど基質との接着に関連するSFK基質のリン酸化は大きく変化するが、細胞間接着を担うカドへリンなどの蛋白量やリン酸化状態にはあまり変化が見られないことから、SFKは主に基質との接着を制御することによってEMTを促進することが示唆されている。この結果は、Cskによってがん細胞のEMTおよび運動性を制御出来ることを示すものでもある。

5. c-Srcの正常細胞における機能

 こまごまとc-Src蛋白質の特徴を説明してきたが、では、c-Srcは正常細胞でいったい何をしているのであろうか。c-Srcは基本的に動物のあらゆる細胞で発現しているが、特に神経細胞、血小板、破骨細胞など高度かつ終末分化した細胞で非常に高いレベルで発現していることが知られている。これらの細胞は二度と分裂増殖しないことから、意外にもc-Srcの本来の機能が「がん」で活性化する増殖とは直接関係しないことが示唆されている。その機能をはっきりさせるためにc-Src遺伝子のノックアウトマウスが作製された。ところが、期待された神経系では、c-Src同様に高いレベルで発現している他のSFK(FynやYes)によって機能が相補されてしまうため、c-Srcがなくても特に目立った変化は観察されなかった。ところが、骨に大きな異常が見られ、破骨細胞の機能が障害されて骨大理石病という骨が石灰化して固くなる病気に似た症状が観察された(12)。c-Srcノックアウトマウスでは破骨細胞の骨吸収を担う膜構造や細胞の運動性が障害されていることから、c-Srcがその膜構造を支える細胞骨格系の制御に関わることが推測されている。その他様々な実験系から、c-Srcが細胞増殖因子のシグナル伝達と共役して細胞増殖を調節したり、受容体分子の細胞内への取り込みを調節したり、細胞接着に関わる受容体分子のシグナルに必要であったり、実に多様な機能が報告されている(図8)(17)

 一方で、免疫系細胞に発現しているSFKの機能の解析も進められ、c-Srcに比べて比較的はっきりしたはたらきが明らかにされている。T細胞で特に強く発現しているLckは、抗原刺激によってT細胞が活性化する時に、その最初期反応として受容体構成成分をチロシンリン酸化してその下流にシグナルを伝えるはたらきを持つとされている。B細胞受容体のシグナル伝達では、Lynが同様の最初期反応を担うことも示されている。このように、SFKの機能はきわめて多様なものであるが、そのいずれもが重要な細胞内シグナル伝達系の初発反応に係わるものばかりである。

 私たちは、こうした多様なSFKのはたらきに共通した基本的なルールのようなものがあると考え、それを突き止めるためにSFKの個々の機能の見直しを図ろうとしている。まず、SFKがほとんど全ての動物細胞に発現していることから、それらに共通した機能である細胞外の足場(基質)との接着や運動性に焦点をあてて、共通した制御因子であるCskを利用した解析を行うことにした。細胞接着とSFKの関連性は、v-Srcの発見以来かなり古くから研究され(9)、v-Srcの基質となる蛋白質として、FAK(Focal adhesion kinase; 細胞接着斑に局在するキナーゼであることから命名)、パキシリン(Pxillin)、Cas、テーリン(Talin)、コルタクチン(Cortactin)など細胞接着斑やそれと関連する細胞骨格蛋白質が同定され、図9に示したような細胞接着のメカニズムが提唱されている(6)。まず細胞膜に存在するインテグリン(integrin)と呼ばれる細胞接着受容体が細胞外基質(フィブロネクチンやコラーゲンなど)と結合する。それに続いてSFK(Fynやc-Src)が活性化する。その後FAKが活性化して自己リン酸化したり、PaxillinやCasなどのリン酸化が亢進して、そこにSH2ドメインを持つ分子(Crk、Nck、Grb2など)が集合して細胞接着斑を構成する蛋白質の大きな複合体が形成される。さらに、アクチンの重合を制御するCortactinなどのチロシンリン酸化を介したり、RhoファミリーG蛋白質へとシグナルを伝えることによって、接着斑を起点としたアクチン骨格系が形成される。その結果、細胞の安定な接着が起こり細胞の伸展(細胞面積が広がる)や運動が可能となる。これらの一連の反応の引き金を引くチロシンリン酸化反応の中心にSFKがあると考えられている。ただし、細胞が運動を続けるためには、接着斑は形成と破壊がダイナミックに繰り返えされなければならない。

 こうしたダイナミックな細胞接着におけるSFKの役割を改めて見直すために、私たちは、Cskを欠損してSFKが恒常的にプライミング状態にある細胞を用いた研究を行った(図10)(16)。その細胞でも、接着に伴ってSFKが機能的に活性化し、その最も初期の基質としてアクチン骨格の形成に重要なCortactinが同定されてきた。しかし、SFKが恒常的に活性化状態にあるためCortactinのリン酸化が常に高い状態になって、その結果アクチン骨格の形成が異常となっての細胞の展開や運動がうまく行かないことが観察された。ところが、その細胞にCskを戻してやってSFKの作用終結が行われるようにすると展開や運動性が回復することから、細胞のダイナミックな接着や運動性を発揮するためには、CskによるSFKのスイッチON-OFF系がちゃんと機能することが必須であることが明らかとなってきた。これとは逆に、主要なSFK(Src、Fyn、Yes)を欠損した細胞では、SFKの活性がほとんどないため細胞接着に関連する蛋白質のリン酸化がおこらず、その場合にも細胞の展開や運動性が著しく低下してしまう。すなわち、SFKの活性がずーとなくても、逆にずーと続いても細胞接着や運動がうまく行かなくなるのである。このことから、細胞接着にともなってSFKがダイナミックにON-OFFされることが、細胞運動に必須である細胞接着斑のダイナミックな形成と破壊を可能にしていると考えられる。さらに、CskとPTP のバランスによって決まるSFKの反応性によって細胞の運動性も決定されることも考えられ、このあと話題とするがん細胞の浸潤転移とSFKの制御系との関連性が強く示唆されるようになった。


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図8 SFKの多様な機能

 これまでに報告されているSFKの主要な機能を簡単な模式で示した。増殖因子の受容体のシグナルと協調した細胞増殖シグナルの伝達機能、インテグリンを介する細胞接着シグナルの伝達機能、増殖因子受容体などのエンドサイトーシスの調節機能、プロテアーゼなどの分泌促進機能、さらに、T細胞やB細胞の活性化シグナル伝達機能などが報告されてきている。いずれも、細胞内反応の最初期段階で情報をチロシンリン酸化反応に変換するはたらきを担っている。


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図9 細胞接着シグナルとSFK

 細胞がIntegrinを介して細胞外基質と結合するとまずSFK(Fynやc-Srcが中心的)が活性化する。その後細胞接着に係わる分子(FAK、Paxillin、Cas、Cortactinなど)のリン酸化を介して細胞接着斑の形成、およびRhoファミリーなどにもシグナルを伝えて細胞骨格系の再構築が起こる。さらに、細胞内に接着によるシグナルが伝達されて細胞増殖や運動性が制御される。これらの反応の引き金となるSFKの活性の制御にCskが必須の役割を担いことが、Cskが欠損してSFKのOFF機構がなくなるとダイナミックな細胞接着や運動性が障害されることから示されている。


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図10 Csk欠損細胞を用いた解析

 左のパネルは、コルタチンを特異的な抗体(緑色)、アクチンファイバーと特異的に結合する試薬ファロイジン(赤色)で同時に染色して重ね合わせた結果(merge)。黄色い部分がコルタクチンとアクチンが共存するところを示す。Csk欠損細胞では、SFKが活性化しているためコルタチンが強くリン酸化されて細胞内で凝集塊を形成する。そこを起点にして放射状にアクチンファイバーが形成されしまうため、細胞の形質が大きく変化して正常な細胞運動が出来なくなっている。右のパネルは、リン酸化チロシンに対する抗体で染色される細胞接着斑の様子を示している。Csk欠損細胞では、SFKの活性化により細胞接着斑を構成する種々の蛋白質のリン酸化が亢進しているため、接着斑の数および面積が増大していることが分かる。

6. c-Srcとヒトのがん

 c-Srcが発見されて間もないころから、ヒトのがんにおけるc-Srcの発現量や活性の変化が調べられ、ほとんどのヒト大腸がんでc-Srcの活性や蛋白質量が上昇していることが見出された(3)。さらに、がんの状態との相関性を調べると、浸潤転移能を獲得した悪性度の高いがんでc-Srcがより強く活性化していることが認められ、浸潤転移とSrcとの関連性が注目されるようになった(6)。c-Srcの活性ががんの浸潤転移に直接影響することは、活性型c-Srcを細胞に強制発現すると細胞の運動性が著しく亢進することや、c-Srcを上皮系細胞で特異的に高発現するトランスジェニックマウスでは、その上皮系細胞ががん化すると強い浸潤転移能を示すこと、特異的なc-Src阻害剤で処理するとがん細胞の浸潤転移が抑制されることなどからほぼ確実となっている。

 ではなぜがんでc-Srcが活性化しているのであろうか。それを明らかにするために、浸潤転移能を獲得したがん組織からc-Src遺伝子を分離してその遺伝子異常を検出する試みがなされてきた。あるグループは、ごく一部ではあるがv-Srcと同じようにC末端チロシンが欠失する変異が存在することを見出した。ところが、この変異は他のグループによる調査では全く検出されてこないことから、あったとしてもきわめて稀なケースと現在では考えられている。それに対して、c-Srcの活性化はほとんどのがんで検出されることから、より一般的なメカニズムが存在すると考えられる。その一つの可能性として、Cskなど活性制御系の異常がまずあげられる。実際のヒト大腸がんで、一部のケースではあるが、Cskの発現が低下してそれに伴ってc-Srcが活性化していることが見出されている(15)。また、遺伝子増幅や転写調節異常によってc-Src蛋白質量が絶対的に増るケースや、Cskと逆の反応を担うチロシンホスファターゼが活性化するケースも考えられる。さらに、c-Srcの活性化チロシンを直接リン酸化する別のチロシンキナーゼ(EGF受容体など)の遺伝子が増幅しているケースもありうる。いずれもまだ決定的ではないが、このように多様な様式がありうることが「がん」の面目躍如ではあるが、早急に解決しなければならない重要な課題である。いずれのメカニズムにしろ、c-Srcの活性が強くなると、なぜがん細胞の浸潤転移能が高まるのであろうか。

 ヒトのがんの大部分(80%以上)は上皮系細胞に由来することが知られている。上皮系細胞は一般的に、となりの細胞とカドへリンなどの接着分子を介してしっかり結合していて、そう簡単には動きだせない。がん化やある種の増殖因子の刺激に伴ってこの分化した性質が失われると、線維芽細胞などのような間葉系細胞の性質に変換して細胞外基質との結合能が活性化し活発に動けるようになる。この細胞形質の変換は上皮―間葉変換(Epithelial-Mesenchymal Transition; EMT)と呼ばれている。c-Srcの活性化は、このEMTを促進することによって細胞の運動性を高めるように作用していると現在では考えられている(図11)(6)。実際のヒト大腸がん細胞にCskを導入してc-Srcの活性を抑制すると、細胞の基質との接着能が低下し、細胞が上皮様の性質を示して細胞同士がくっつき合って動かなくなる。逆にc-Srcの活性を強くすると、細胞間の結合が完全に断ち切られ、細胞外基質との接着シグナルが強くはたらいて基質上で活発に動けるようになることが観察されている(図12)(15)。細胞間結合が破断するメカニズムとして、細胞間結合を支える分子(カドへリンやカテニン)がc-Srcによってリン酸化されて分解が促進することがこれまで提唱されてきている(1)。しかし、c-Srcの活性化がインテグリンに依存した基質との接着を積極的に押し進めること、すなわち既に紹介した接着関連蛋白質のリン酸化をc-Srcが進めることがより重要であると私たちは考えている。接着シグナルの活性化に伴ってアクチン骨格の再構成が起こるが、それに伴ってカドへリンを介する結合を支えているアクチン骨格が緩み、それだけで細胞間の結合を切ることができるようである。さらに重要なことは、実際の生体内でがん細胞が浸潤してゆくためには、周りの基底膜や結合組織を溶かして進入路を切り開かなければならない。ところが、c-Srcが活性化したがん細胞では侵入路を開くための蛋白質分解酵素(メタロプロテアーゼなど)の分泌がちゃんと促進されていることも古くから知られている。

 このように、c-Srcの活性化でがんの浸潤転移に都合のよい条件が整えられてしまうことに驚きと恐怖を感じる。しかしながら、このメカニズムは「がん」ならではのものではなくて、c-Srcの基本的なはたらきがたまたまがん細胞で増強されているに過ぎないと考えられる。動物の初期発生過程において、先に触れたEMTが正常な出来事として活発に起こっていることがよく知られている。例えば、神経冠細胞が神経上皮から遊走して末梢神経系を形成する過程などは、まさにEMT後のがん細胞の浸潤転移と類似した現象である。今後こうした視点から、がんでの出来事と正常動物での現象を対比させながら、SFKなどの「がん原遺伝子」の本質的なはたらきを見極めて行きたいと考えている。


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図11 c-Srcは上皮-間葉変換(EMT)の制御に関与する

 上皮系細胞は、カドへリンなどを介して強く細胞間結合している。がん化に伴い最終的にSrcが活性化すると、細胞間結合が破壊されて基質との接着能が高まって活発に運動できるようになる。この上皮系細胞様の性質から間葉系細胞様の性質への変換(EMT)をSrcが制御すると考えられている。Srcが細胞間接着に係わる分子(カドへリンやカテニン)をリン酸化してそれらの分解を促進するというメカニズムと、インテグリンを介する基質接着シグナルを積極的に活性化することによって二次的に細胞間接着が弱まるというメカニズムが想定されているが、まだ最終結論は得られていない。

7. おわりに

 「c-srcがん原遺伝子」に焦点をあてて、v-srcがん遺伝子と比較しながら、その構造から、蛋白質としての性質、細胞レベルでの機能、ヒトのがんとの係わりについて私たちの研究成果を交えながら概説してきた。「がん原遺伝子」および「がん抑制遺伝子」は実に多種多様であるが、細胞内シグナル伝達のきわめて重要なポイントで機能している点では共通し、それらの本質的な役割を探ることは、発がんのメカニズムを理解するばかりでなく生命の根源的な仕組みの理解に通じることはあらためて言うまでもないことである。私たちは、最も古くから研究されている「srcがん原遺伝子」の機能および制御機構を解析することによって、その「生命の根源的な仕組み」の一部を詳らかにすべく、SFKが最も豊富に存在する脳神経系でのそれらの役割を見直す作業を続けている。(図13)。その結果やはり、細胞の運動や細胞間の相互作用でSFKが重要なはらたきをしていることが明らかになってきている。また一方で、c-Srcに代表されるチロシンキナーゼが動物ならではの酵素であることに注目して、多様な多細胞動物における「srcがん原遺伝子」の機能解析をも進めている。ごく最近の研究で、動物の進化をとことん遡って最も原始的な多細胞動物に至っても、SFKが常にCskに制御されていることが明らかとなり、SFKの本質的な機能がCskによる制御系に支配されるものであることが改めて示されている。今後は、こうした基礎的な情報に基づいて、「がん」撲滅に向けてCskによる制御系をターゲットにした新たな分子治療戦略を提案して行きたいと考えている。


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図13 神経系におけるSFKの機能解析

 A)Cskノックアウトマウスでは、神経管の形成期に大きな異常が見られるがその原因は未だにはっきりしていない。神経上皮細胞の分裂増殖およびその後の移動の過程での出来事をさらに詳細に解析しようとしている。

 B)Fynノックアウトマウスでは、神経細胞間および神経-グリア細胞間の相互作用がうまく行かないために、海馬などの神経細胞層に異常が生じ、シナプス可塑性などにも欠陥が観察されている。

 C)小脳プルキンエ細胞に特異的に活性化型c-Srcを発現させると、プルキンエ細胞の層構築に異常が観察される。これは、神経細胞の層構築を制御するリーリンシグナルを活性化型c-Srcが攪乱することによると考えられ現在そのメカニズムの詳細を解析している。

文献
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ウェブサイトリファレンス
プロフィール

岡田 雅人 ( Masato OKADA )

発癌制御研究分野・教授


E-Mail okadam@biken.osaka-u.ac.jp


1981年京都大学理学部卒業
1985年大阪大学大学院理学研究科博士後期課程中退
同年大阪大学蛋白質研究所 助手
1996年大阪大学蛋白質研究所 助教授
2000年現職

趣味 : スポーツ全般(最近は主に観戦)。学生時代はバスケットボール部に所属し、ほとんど体育館周辺で生活。最近は息子の少年サッカーに付き合いながらJリーグ観戦にしばしば(ガンバ大阪をサポート)。しかし、密かにNBAのフォローも続けている。


Key Word : がん遺伝子、がん原遺伝子、細胞内情報伝達、蛋白質チロシンリン酸化、Src、Csk、細胞接着・運動、多細胞動物、発生、進化