中田 篤男名誉教授に聞く「CRISPR配列発見秘話」
2020 年のノーベル化学賞は「ゲノム編集手法の開発」により、エマニュエル・シャルパンティエ博士とジェニファー・ダウドナ博士の 2 名に贈られます。CRISPR/Cas9と呼ばれるこの技術は、実は元微生物病研究所教授である中田篤男博士が1980年代に行った大腸菌の特徴的な遺伝子配列の発見がもとになっています。大腸菌の研究がなぜゲノム編集手法の開発につながったのでしょう?今回は、中田篤男博士に微生物病研究所にお越しいただき、お話を伺いました。
左から当時ともに研究をしていた品川 日出夫名誉教授、中田 篤男名誉教授、岡田 正人所長(微生物病研究所所長室にて)
Q1 ゲノム編集手法開発のもととなった大腸菌の遺伝子配列「CRISPR」の発見のきっかけとなった研究を教えていただけますか?
きっかけは国内複数の研究グループで進めていた大腸菌のゲノム構造解析プロジェクトです。私たちの研究グループは大腸菌の「iap遺伝子」という遺伝子の塩基配列を解析していました。当時は遺伝子の配列を決めるのに、サンガー法という、ガラス板に挟んだゲルに遺伝子を反応させたものを流し、電気泳動をしてひとつひとつDNAの配列を解読していました。
興味のある遺伝子配列がどこからどこまでなのかは、DNAの配列が決まってからわかるので、目的遺伝子を含むフラグメントの前後の配列を長く読んで、目で確認しながら解読していました。
あとからCRISPRと名付けられる特徴的な繰り返し遺伝子配列は、私たちが研究対象としていた「iap遺伝子」のはるか下流に見つかりました。この配列を見つけられたのは、遺伝子を長く読んで解析していたという背景があったからです。
Q2 研究者が目でみて一つ一つ解読していたのですね。繰り返し配列によく気づきましたね。
当時は今のように機械による自動ではなかったので、すべて手作業で電気泳動して目で解読していたから、同じ配列が出てくると、ずれてまた同じところを読んでしまったと錯覚してしまうんですよ。
1回で200-300塩基をよんでいるので、あれ?さっき解読したところに戻ってしまったのかな?と。でも、繰り返し配列の間がユニークなので、さっきとちがうとわかりました。
――なるほど、今のようにコンピューターで解析するのではなく、自分の目で見て読んでいたからこそ発見できたのですね。
そうですね。それでも当時は最先端の遺伝子操作技術を使って遺伝子解析をしていました。私の研究室では、本日一緒に話をしている品川さんと一緒に先端技術をいち早く取り入れていましたので、国内から多くの人が技術を学びにきていました。この配列を発表した論文の筆頭著者である石野良純さん(現九州大学教授)もその一人です。
Q3 特徴的な配列を見つけられたあとはどのように研究が展開しましたか?
見つかった繰り返し配列がとても特徴的だったので、他の細菌にはないものかと、当時医学部の牧野耕三博士が中心になって調べました。その結果、多くの原核生物で同様の配列がみつかりました。ただ、私自身はその配列についての研究はそこで終わりにしました。その後は、本来のテーマの研究を進め、大腸菌の遺伝子発現調節機構について研究をしました。
――その後、2000年代になってその繰り返し配列にCRISPRという名前がつき、バクテリアの免疫のような働きをするシステムの一部であることが明らかになりました。そして、今回授賞対象となった、「ゲノム編集手法の開発」へとつながりました。
その時には、あのときの奇妙に思われた配列の発見が、このような展開になるとは思いもよりませんでした。
Q4 その時代であったからこそ見つかった、そして、その時代ではわからなかったことが、技術や知識が蓄積されてノーベル賞を授賞する研究に発展したのですね。
私は第2次世界大戦時に14才で学徒動員によって工場で働いていました。同じ工場で働いていたたくさんの仲間が空襲によって亡くなりました。私は幸運が重なって空襲を逃れ、終戦の次の年に学校を卒業、その後高等師範学校を経て大学に通って研究者になりました。
今考えてみると、私が研究者であったころは良い時代だった。技術が進歩し、長年の課題が解けた、収穫の時代でもあった。微研がとても盛り上がっていた時代でした。良い時代に生きてきたなあと思い出します。
私、今度91歳になるのですが、ああ、いい人生だったなあ、と思います。
品川さんや、いろんな人にお世話になって今日があるなあと。いろんな人に助けられたなあと。関わってくれた全ての皆様に感謝しております。
中田先生には、寄稿文もいただいております。
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