Research Themes

 Pathogenesisという言葉は聞き慣れないかもしれません。

病原、病因と訳します。病気が何故おこるか?ということです。

病気になる原因がわかれば、制御も可能ということで、われわれの研究室では、何故エイズになるのかという疑問を追求しています。

 

こう書くと、不思議に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

病原体に感染するから、感染症を発症する。

エイズウイルスに感染したからエイズになる。

エイズになった人は全員エイズウイルスに感染している。

単純なことではないかって。

 

ところが、よく調べてみると、この単純な方程式にあてはまらない症例があります。エイズウイルスに絶対暴露されているはずなのに、感染しない。ウイルスに感染している証拠はあるのに、治療もせずに10年以上エイズを発症しない。そこまで極端な例ではなくても、病気の進行の早い方と遅い方がいらっしゃいます。我々は、ひとつの方法として、この個人差に着目して、研究を進めています。例えば、我々は、フランスのコホートと共同研究で、IL-4というサイトカインの遺伝子の違いで、病気の進行速度に差があることを見いだしました(図1)。このことは、IL-4という、血清中では、高感度のELISA測定キットを用いても検出できないくらい微量しかないサイトカインが、実は身体の中ではかなりのインパクトを持つ因子である可能性を想像させてくれます。ヒトでしか発症しないエイズの研究において、モデル動物による実験が難しいので、このような疫学的手法は、切れ味は鮮やかではありませんが、病気を個体全体で捉えるには有効な手段だと考えています。

図1

 

その一方で、1つの細胞の中の分子と分子の相互作用といった、ミクロな視点でも研究をすすめています。ウイルスは、最も単純で小さい生命体です。遺伝暗号も短く、タンパク質も必要最低限しか持っていません。宿主細胞の機構を巧みに乗っ取って利用しなければ自らの生活環を全うすることができないので、ウイルスの侵入、逆転写、染色体への組み込みから、ふたたびウイルス粒子を形成するまでの過程すべてに、ヒト細胞の分子が必ずやなんらかの形で関わっているはずです(図2)。

図2

 

適切なモデル動物がいないというのも、HIVと作用する分子がヒトとマウスやサルでは、微妙に異なるからで、それらの分子をひとつずつ明らかにすることで、モデル動物の構築にも役立つと考えております。また、現在でもコレセプター(図3)を標的とした侵入阻害薬などが次世代の薬剤として期待されていますが、更に新しい標的分子が発見できれば、また新しい薬物開発のコンセプトを提唱できると思います。

 

図3

もし、候補分子が見つかった場合は、ひとつめの疫学的手法へフィードバックします。例えば、コレセプターを薬物標的とすることは、ウイルス独自の分子ではなく宿主側の分子を標的にするわけですから、副作用が心配されます。しかし、コレセプターの1つである CCR5に欠損変異を持つ人が、存在することが知られています。我々も、アジア人に特異的なCCR5欠損遺伝子変異、CCR5  893(-)を見つけました。試験管内の発現実験系ではCCR5 893(-)は細胞表面への輸送効率が悪いこと(図4)、ヒト末梢血から採取したリンパ球表面でのCCR5の発現が確かに少ないことがわかりました。アジア人の893(-)に加え、白人にはdelta32、アフリカ人にはm303と、それぞれにCCR5欠損変異を持つ人が、特に目立った疾患もなく、相当数存在することは、CCR5分子がヒトの身体の中では、代替可能な存在であることを示唆しており、CCR5を標的とした薬物開発を励ますことになったと思われます。

図4

 エイズは今や単独の病原体による死亡原因としては世界最多となった重大な問題で、その対策は人類にとって急務です。

HIVというヒトに高度に特化したウイルスをトコトン探求することで、

ウイルスの制御が可能になるばかりでなく、

ヒトという複雑な生命機構の解明にもつながる。

そんな仕事ができたらいいな、と思っています。

                        (文責:中山英美)